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00: 日 本 橋


2011.9.13   2012.3.31

(日本橋



日本橋を出発する参勤交代の大名行列のお陰で、日本には、世界最高クラスの
”旅文化”
がありました。

私も、当時の旅人の気分に浸りながら、この”旅文化”の名残りを訪ねます。

ここ日本橋を出発して、京都三条大橋まで、東海道五十三次の長い道程の一人旅に出掛けようと思います。




下の写真の”日本橋”の文字徳川慶喜の筆によるものだそうです。



知らなかったな〜!


下の写真の中央の石のレリーフは、
日本国の道路元標複製です。



(写真中央の柱は、旧東京市の道路元標です。)


以前、私は、この
複製の道路元標を発見したときに、それでは、本物はどこにあるのだろう?
と不思議に思っていました。


そして、今回、ついに
本物を発見!

本物
は、車の往来が激しい日本橋の上の道路の真ん中ありました!

以前に見たNHKの”
ブラたもり”によると、見物人が、車の往来が激しい道路の真ん中へ見に行くと
危険なので
、すぐ横の橋の脇に上の写真の複製を置いた、という説明をしていました。


この話を聞いた知人が、道路の中央にある”本物”の道路元標の写真を、
危険を冒して?撮って、
メールで写真を送ってくれました。

 (下の写真は、
道路の中央の”本物”の道路元標)





















日本橋→京橋→銀座→新橋→大門→品川

上記を見て気付きましたが、みんな江戸時代の由緒ある地名なんですよね。


京橋は昭和38年に、京橋川が埋め立てられた際に撤去されましたが、下の写真の
京橋の擬宝珠(ぎぼし)が残っています。




銀座を抜けると新橋ですが、新橋は汐留川に架かる橋だったそうで、現在は、
汐留川は埋め立てられ、上は首都高速です。



上の写真は、新橋の親柱ですが、向いの交番の屋根も、全く同じ形です!



古地図をみると、新橋の辺りで汐留川がカーブを描いていますが、上を走る首都高速も、古地図と全く同じ形のカーブを描いています!

京橋川は、水運の便が良かったので、広重の名所江戸百景にも描かれた様に、川の両岸には、竹、薪、大根などの河岸があったそうです。



(大根河岸の碑)

また、この河岸には多くの人が集まったので、中村勘三郎が、ここに猿若中村座の芝居小屋を立ち上げたのが江戸歌舞伎の始まりだそうです。



上の写真は、
京橋江戸歌舞伎の碑です。



更に、浜松町へ向かって歩きます。

浜松町の大門の交差点に近い路地の奥に、写真の芝大神宮があります。



ここの境内で、勧進相撲を興行していた力士と、町火消し「め組」との間で、勧進相撲の入場料を払う払わないで、喧嘩がおきました。



このとき、め組が半鐘を叩いて喧嘩の応援を集めましたが、火事以外で半鐘を
叩いたため処罰されます。

でも、島流しになったのは、町火消しではなくて、半鐘だった、という、いかにも
粋なお裁きでした!



この喧嘩は、芝居「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」として
有名になったそうです。



上の写真は、珍しい「め組」の狛犬です。




JR田町駅の手前、第一京浜(旧東海道)沿いの左手の三菱自動車本社前に
「西郷・勝会見の地」の碑があります。



官軍の江戸城総攻撃を目前にひかえた1868年)、東征軍参謀・西郷隆盛と、
徳川家陸軍総裁・勝海舟の会談が、ここ田町の薩摩藩邸で行われました。

この会見で、江戸城の無血開城が決められたことにちなんで建てられた碑です。


(静岡市(19:府中宿)の中心には、「西郷・山岡会談」跡地の碑があります。
江戸開城の直前、徳川・旗本の山岡鉄舟は、江戸からはるばる府中まで出向いて、官軍参謀・
西郷隆盛と談判しました。

歴史上では、江戸の無血開城は、西郷と勝海舟が、品川の薩摩藩邸で会談して成立したことに
なっていますが、その前に、鉄舟が、府中で、講和条件を整えておいたから、海舟がスムーズに
会談出来たのです。

府中で、鉄舟の人柄に打たれた西郷は、”命もいらず 名もいらず、官位も金もいらぬ人は
始末に困るものなり”と、鉄舟のことを誉めたそうです。)




上のレリーフは、左が西郷隆盛、右が勝海舟です。





第一京浜(旧東海道)のJR田町駅と品川駅の中間くらいの左手、札の辻の交差点を過ぎると、こんもりとした一里塚のようなものが見えて来ます。



これが「高輪大木戸跡」です。



江戸全体の治安維持のため、江戸の南の入口として設けられた木戸で
、「大木戸」と呼ばれ、当時は、街道の両側に石垣が築かれていましたが、
現在は海岸側の石垣のみが残っています。



当時は、明け方六ツ(朝6時)に開き、暮れ六ツ(夕方6時)に閉じて、治安の
維持と交通規制の役割を果たしていました。

江戸を発つ旅人の見送りは、ここで行われるのが一般的で、茶店が多くあった
そうです。







浮世絵
には、天秤棒を担いで魚を売り歩く魚屋が描かれています。


この時代、右下の「日本橋魚市場発祥の地」の
碑にある様に、
魚河岸は、未だ築地ではなく、
日本橋
にありました。



浮世絵の橋の上は大名行列です。

以下は、私が小学校で教わったこの
大名行列の童謡です。

♪お江戸日本橋 七つ立ち〜

♪初上り〜 行列揃えて あれわいさのさ♪

こちゃ 高輪 夜明けて〜提灯消す〜 

こちゃえ こちゃえ♪


   九つ→0時
   八つ→2時
   七つ→4時
   六つ→6時
   五つ→8時
   四つ→10時
  (三つから一つは無く九つに戻る)

日本橋を
七つ(朝4時)に提灯を点けて出発
しますが、高輪まで来たところで、夜が明けて
提灯を消す
様子が歌われています。










(日本橋の脇にある「日本橋魚市場発祥の地」の碑)

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東海道五十三次を歩く