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東海道五十三次を歩く
01: 品 川 宿

2011.9.14    2012.3.31





写真は品川寺(ほんせんじ)とその梵鐘です。


この鐘(
梵鐘 )は、徳川家綱の寄進ですが、幕末に海外へ流出し、パリ万博に展示された後、所在不明となっていました。


その後、
スイス・ジュネーブの美術館で発見され、同市の好意により品川寺に返還されました。


それが縁となり、
品川区とジュネーヴ市は友好都市となったそうです。




品川寺では、下の写真の高さ4.8メートルの江戸六地蔵が、街道の安全を見守ります。


六地蔵は、六道地蔵のことです。

六道とは、死後に生まれ変わる六つの世界のことです。

仏教では「六道輪廻(ろくどうりんね)」といい、人は亡くなったあと、六つの世界※のどこかに生まれ変わり、これを繰り返す、と考えられています。

 ※地獄(激しい苦しみの世界)→餓鬼(飢えと渇きの世界)→畜生(弱肉強食の動物の世界)→修羅(争いの絶えない世界)→人間→天(神々の世界)

この六道で苦しむ人々を救ってくれるのが地蔵菩薩のです。






旧東海道は、

北品川本通り商店街

⇒品川宿場通り商店街

⇒青物横町商店街

⇒鮫洲商店街

と続きます。

















品川の八ツ山橋から、大森の鈴が森までの約4キの間は、現在も、江戸時代のままの旧東海道の道幅で、都心では珍しく、江戸時代の雰囲気をそのまま残しています。


・品川宿の入口


品川宿の入口の八ッ山橋には、品川宿を示す手書きのローマ字の案内板が・・・

橋の下には、山手線、東海道線、京浜東北線、横須賀線、新幹線が走ります。



・品川浦


かって品川宿の一帯は、漁業が盛んで、寿司や天ぷらのネタに好まれる江戸前の魚が水揚げされ、海苔の産地としても有名でした。



・お休み処(駄菓子屋)


写真は、町の有志で運営する品川宿の休憩所です。

1階が駄菓子屋兼休憩所、2階が品川宿の資料室になっています。


駄菓子屋のおばさんに断って、ここで、しながわ観光協会発行の品川宿の案内地図・パンフレット(無料)を貰い、これを見ながら品川宿の探索をスタートします。



・海沿いの石垣


現在の海岸は、旧東海道から、はるか彼方にありますが、江戸時代には、品川宿は、海に面した宿場町でした。

その
証拠が残っていました。

街道沿いの海側の民家の裏に回ってみりと、上の写真の様に石垣になっいます。

これは、
江戸時代に、海岸沿いに組まれていた石垣が、そのまま残っているのだそうです!

驚き!

この石垣から先は、江戸時代は海だった訳ですが、大正時代から旧ピッチで埋め立てられ、工業地帯となりました。

しかし、この工業地帯も、現在は、高層オフィスビル、マンション群へと急変貌しつつあります。


下の
広重の浮世絵は、大名行列の最後尾が、品川宿にさしかかったところです。

江戸時代は、
浮世絵の様に、JR品川駅の前は海でした。

京急・北品川駅の前から始まる現在の旧東海道は、江戸時代には、海沿いの道だったのです!!





・問答河岸跡


三代将軍・徳川家光とタクアンの発明で有名な沢庵和尚が禅問答を行った場所です。

このあと沢庵和尚は、徳川家光の要請で、この品川宿に東海寺を開山しました。



・鯨塚




利田神社の横に、
江戸時代に品川沖に迷いこんだ18メートルもの鯨の骨を葬った塚があります。

品川沖に鯨が来たのは、江戸時代の町民には大事件だったそうで、時の将軍・かわら版も出て大騒ぎになったそうです。



・本陣跡と聖跡公園


本陣跡は、現在は、明治天皇が休息されたという聖跡公園となっています。




・品川屋海苔屋




・品川橋


品川橋は、目黒川に架かる北品川宿と南品川宿を分ける橋です。



・荏原神社




目黒川沿いにある品川の鎮守で、奈良時代の創建、神輿を海にくりだす勇壮なかっぱ祭りで有名だそうです。



・街道松の広場


東海道の浜松宿から寄贈された松だそうです。



・旅籠・釜屋跡


新撰組の定宿であった釜屋の跡です。



・松岡畳店


写真の畳店は、宿場町時代から続くお店だそうです。

江戸時代は、海岸に面していたので、強い浜風を防ぐため、低い二階構になっているそうです。



・海雲寺の千躰荒神の奉納額


このお寺は、火と水の神である千躰荒神を祀るお寺で、お寺の本堂の内部には、写真の様に、
色彩鮮やかな千躰荒神の額が奉納されています。

また、境内には、拾った財布を正直に持ち主に返したために、乞食・窃盗仲間に殺されてしまった乞食の平蔵を供養するための平蔵地蔵があります。






・山内容堂の墓


街道を右に折れ、京浜急行の高架をくぐり、第一京浜の信号を渡り、大井公園を目指して歩いてゆくと、第一京浜を見下ろす崖の上に、山内容堂の墓がありました。

そう、福山雅治が主役を演じた NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」で、
近藤正臣が演じたあの土佐藩主・山内容堂(豊信)の墓です。

でもその土佐の主君の墓が、高知県ではなく、何故、品川宿に?


下は、現在の旧東海道・品川宿の道の地図です。










大森に入り、細い道の旧東海道が国道15号(東海道)と合流する地点に、
鈴が森処刑場跡があります。


ここで処刑されたのは、
八百屋お七、丸橋忠弥、天一坊などだそうです。

上の写真の石碑は、処刑者の供養のために建てられた歌舞伎の題目を刻んだ石碑だそうです。

 
八百屋お七を何とか救おうと、役人は、”お前は14歳だよな”と聞きます。

しかし、
”いいえ、15歳です。”と答えたために、火あぶりの刑に処せられてしまいます・・・。

 (当時は、14歳以下が未成年扱いだったのです。)

八百屋お七は、下の写真の石の丸い穴に鉄柱を立て、足下に薪を積み、縛り付けて生きたまま焼き殺されました。



(八百屋お七が、縛り付けられ、火あぶりにされた鉄柱の石の丸い穴)




国道15号(東海道)に合流したあとは、平和島入口を過ぎて多摩川まで、
単調な第一京浜(国道15号)沿いにひたすら歩きます。

中層マンションと会社ビルが続きます。

歩道と自転車道に分かれていて歩き易いですが、排気ガスがすごいので健康に悪そう・・・



更に、ひたすら歩いて多摩川に着きました。


江戸時代には、多摩川には橋が掛かっていませんでした。

下の浮世絵は、対岸の川崎宿へ向かうために
多摩川を船で渡る「六郷の渡し」です。



多摩川の二子橋を渡ると川崎宿です。


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