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東海道五十三次を歩く
02: 川 崎 宿

2011.9.15   2012.3.31
川崎→鶴見→新子安

川崎宿は、旅籠(庶民のための食事付旅館)が70軒以上あり、また、川崎大師の参拝客でも大いに賑わったそうです。

当時、多摩川には橋が掛かっていませんでした。

浮世絵は、対岸の川崎宿へ向かうために多摩川を船で渡る「六郷の渡し」です。







♪お江戸日本橋 七つ立ち〜、初上り〜♪

♪六郷あたりで 川崎の 万年屋〜

鶴と亀との
米まんじゆう〜

の歌の川崎宿の入口にあった万年屋跡を探しますが、万年屋跡には、下の写真の説明板が立っているのみで、何もありませんでした。

がっかり・・・






万年屋:東海道・川崎宿交流館)


米まんじゅう:土山宿資料館)



2013.10.1に、旧東海道沿いの川崎駅近くに
「東海道・川崎宿交流館」がオープンしました。



上の写真の交流館は、旧東海道に面した4階建てで、3階までが無料の展示室、4階が有料の集会室です。
(月曜休館:9:00〜5:00)

館内では、江戸時代の川崎の宿場町の様子、当時の旅の紹介、現代までの川崎の移り変わりを展示しています。

交流館は、旧東海道沿いにありますので、東海道ウォ−キングの際は、立ち寄り必須の場所です。

1階は、当時人気だった茶屋「万年屋」を再現した上の写真の「お休み処」で、そこの畳に座って、江戸時代の川崎宿を紹介した映像を見る事が出来ます。


(お休み処)


(宿場町の模型)

2階は、当時、川崎宿で起きたさまざまな事件・物語を、タッチパネル式の映像や模型などで、分かり易く紹介する装置が並んでいて、江戸時代の川崎宿を体感出来ます。



芭蕉の麦穂の別れのシーン、六郷の渡し、万年屋などで繰り広げられた物語などを、デジタル映像で面白く紹介しています。



東海道中膝栗毛では、「万年屋」で、喜多さんが、奥の床の間にかかっている掛け軸の「鯉の滝のぼり」を見て、”鮒がそうめんを食っている”絵だと思った、と言って笑わせます。



また、弥次さん喜多さんが「万年屋」の「奈良茶飯」を食べたことで、当時、「
万年屋の奈良茶飯」は全国的に有名になり、本来は本陣で食事すべき大名も、本陣での食事を止めて、万年屋に食事に立ち寄る程の大旅籠だったそうです。

交流館の売店で、写真の川崎宿名物「奈良茶飯」(950円)を売っていたので、私も、早速、買って帰って食べてみました。



あずきと炒った大豆が混ざっていて、赤飯の食感ですが、赤飯よりももっと複雑な味で、風味豊かで香ばしく、すごく美味しいです!

更に、下の写真の旅人や飛脚の衣装を着ての「記念撮影スポット」もあります。(無料)



また、交流館の斜め前には、写真の「砂子(いさご)の里資料館」(無料)があり、江戸時代の浮世絵などを展示しています。






(本陣跡)




















川崎の繁華街から京急・
八丁畷(はっちょうなわて)駅まで、旧東海道は、写真の様に、真っ直ぐな一直線の道です。



畷は”まっすぐな長い道”を意味するそうで、八丁畷は、1丁=1町=約110mとして、約900mの真っ直ぐな道ということらしいです。

八丁畷駅へ向かう途中に、芭蕉とその弟子の句を刻んだ下の写真のタイル敷きの歩道と円筒形のモダンな句碑がありました。







八丁畷(はっちょうなわて)駅の手前の右側に、
芭蕉

”麦の穂を たよりにつかむ 別れかな”

の碑があります。

(風にも揺れる頼りない麦の穂を頼って歩く、旅立ちの別れであるよ。)

この当時の芭蕉は、頼りにならない麦の穂に頼らざるを得ない程に弱っていて、この5カ月後に大阪で亡くなります。



芭蕉が故郷の伊賀へ帰る最後の旅で、
江戸に於ける最後の句だそうです。

麦穂の別れ:東海道・川崎宿交流館)


川崎から鶴見へと向かい、鶴見川に架かる鶴見橋を渡ります。


旧東海道沿いに、身禄道などの説明板や、下の写真の寺尾稲荷道道標複製やが続きます。



更に進むと、生麦街道(旧東海道)に入ります。

江戸時代の名残はありませんが、道幅が広く、しかも自動車がほとんど走っていないので、快適なウォーキングです。

やがて生麦のキリンビール工場があり、その前に、有名な生麦事件の碑があります。

生麦事件の碑は、昨年、私が一人旅で歩いた時から場所が移り、バス旅行のときには、碑の囲いも下の写真の様に、真新しく作り直されていました。







京急子安駅の近くに
浦島丘という地名があり、以前から浦島太郎と関係があるという話を聞いていました。

しかし、今回のウォーキングで、

な・・何と!

京急子安駅の北に、
写真の
浦島太郎の墓?を発見!


案内板によると、竜宮城から帰った浦島太郎は、
玉手箱は開けないで、両親の生まれ故郷の神奈川からこの海岸から、再び竜宮城へ戻った、とあります。

驚き!

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