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23:島田宿


2011.11.14   2012.9.15

横浜駅を早朝6:30に出発、前回の続きの六合駅をスタートして島田宿へ向かいます。


写真の浮世絵は、島田側から金谷側へ渡る大名行列です。

島田宿は、刀鍛冶の町でもあったそうです。



・大井神社

写真の大井神社は、宿場町を大井川の洪水から守る神として、元禄時代に祭られたそうです。

日本三大奇祭のひとつ「帯まつり」(10月中旬の日曜)で有名ですが、写真は、その豪華な丸帯を大きな太刀につるして歩く大奴の像です。

左腰に大刀、右腰に小刀を差し、豪華な丸帯を、その両刀に掛けて歩きます。

重たそう〜!



大井神社の参道の両脇の石垣は、江戸時代に、川越人足が、大井川原から、毎日少しづつ運んで造った石垣があります。


また、”雲助”と呼ばれ、あまり評判が良くなかった飛脚たちが奉納した石灯籠もあります。






















大井川近く近くまで来ると、往時をしのばせる大井川の川越遺構があります。



遺構には、当時の家屋が復元されていて、家屋の中には写真の様な川越え人足の人形が置かれていて、当時の雰囲気が良くわかって楽しいです。

(人足は、私の仮装写真ではありません。念のため・・・


大井川は通常で、76センチ(2尺5寸)の水深があり、水深が150センチ(5尺)になると、一切の川越えが禁止される「川留め」になったそうです。

ひどい時には、1カ月以上の「川留め」もあったそうですから驚き!

1カ月も旅の予定が狂ったらたまりませんよね!

でも、水深150センチの「川留め」のときでも、幕府の公用文書については、20〜30人もの特別に選ばれた人足が川を越えたそうです。


写真は、水の深さと川越代金の関係を書いた説明板で、深さにより、約1,500円から2,800円だったそうです。

面白いのは、相撲取りは無料だったそうです?

その渡り方というのは、チンチン電車ごっこと同じ様に、川越人足が相撲取りの前後に立ち、相撲取りを縄の輪の中に入れて、歩かせて渡ったそうです。
(笑い)!


一切の川越えが禁止される「川留め」ですが、1カ月以上の「川留め」もあったため、急ぎの旅は中山道を利用したらしいです。


弥次さんと喜多さんは、2日間の川留めで足止めを食います。


松尾芭蕉も、4日間の川留めに遭い、弟子の塚本如舟の家に逗留して、句を残しています。








明治になると、この
川越人足たちが失業してしまいますが、この失業対策として、人?足を
使って、
清水次郎長清水港を整備した
そうです。














・朝顔の松

写真は、浄瑠璃や歌舞伎の「朝顔日記」に出てくる朝顔の松だそうです。

朝顔が、好きになった駒沢次郎左衛門を慕って流浪するうちに視力を失い、
大井川の川止めのために、行き違いになり身投げ自殺をします。

しかし、宿場の主人に助けられ、その後奇跡的に視力が回復します。

その時に、朝顔の目に最初に映ったのがこの朝顔の松だったそうです。








 更にその奥には、川会所(かわかい
 しょ)が、当時の家屋と共に復元され、
 川越の業務を行う役人の人形が置かれ
 ています。

 川会所で、当時、役人が行っていた川越
 の業務とは、水位の深浅による賃金の
 決定や、川越えの優先順位の決定
 だったそうです。




 川会所には、実際に大名が川越えに
 使用した御駕籠や蓮台などが展示され
 ています。







(朝顔の松)


東海道中膝栗毛」では、大井川の川越の様子が描かれています。

人足と交渉し、蓮台渡しが800文と吹っかけられた弥次さんと喜多さん。

川会所で、公定料金を決めてもらい、渡ろうとしますが、それでも480文とやや高め。

ならば、値切ってやろうと、脇差2本のうちの1本に、刀のさやにかぶせる袋を長く伸ばして、大小二本の刀を差している様にみせかけます。

武士の振りをして脅そうとしますが、あっさりとバレてしまい、慌てて逃げ出します。

大井川は私の想像以上に大きく、橋を渡るだけで15分もかかります。


島田宿から金谷宿まで約4キロです。













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24-1:金谷 へ


                        
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