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24-1:金谷宿

2011.11.14  2012.9.15
箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」として、箱根と並び、東海道の難所中の難所である大井川越えです。

大井川を無事に越したら、金谷宿で「水祝い」をしたそうです。

大井川橋は、私の想像を超える長さで、写真の様に、
歩道の向こうの端が見えません!

この川幅の広さに驚きます。

秋晴れの空の下、川風に吹かれながら、爽快な気分で大井川橋を渡ります!

大井川を渡り終わると、SLの大井川鉄道で有名な金谷宿に入ります。


金谷宿側には、島田宿側の川越遺構様な遺跡は何も残っていません。


浮世絵は、大井川を渡る大名行列を金谷側から描いています。

下の写真は、金谷宿の本陣跡です。 



以前に、SLに乗って奥大井湖上駅まで行き、寸又峡温泉に一泊したことがありますが、非常に良かったのでお薦めです。

金谷宿は、下の写真の本陣跡の標示板などがある程度で、当時の宿場町の面影はそれほどありません。












(寺尾聡・宮崎美子主演の映画「雨あがる」の大井川越えシーン)


暫く歩くと大井川鉄道の金谷駅があり、このガード下をくぐると、金谷坂の石畳が始まるハズです。

石畳道の入口を間違えると嫌なので、日向ぼっこの地元のおじいさんに入口を確認します。

すると、”そんなに速足で歩くと汗をかいて風邪をひくから、もっとゆっくり歩いた方が良いですよ。”と、アドバイスされました。

その時は聞き流していましたが、確かに、翌朝起きたら風邪気味に・・・
おじいさんのアドバイスは正しかった・・・

案内板によると、金谷坂石畳は、平成3年に、町民が参加で復元したそうです。

町民参加の土木作業というのはすごいですよね!
横浜では、市民に土木作業を呼び掛けるなんて無理ですね。


金谷坂石畳は茶畑の中にあり、その意味では、これまでの人家や人影のない石畳ではなく、茶畑だから、どこかに人はいるだろう、という安心感があります。


石畳道の入口に右の写真の石畳茶屋があり、抹茶アイス(500円)で一休みします。


この石畳茶屋の少し上に、
鶏頭塚がありました。

案内板によると、
大泥棒の日本左衛門が、下の写真の鶏頭塚のお堂の中で、夜の強盗の衣装に着替えたそうです。

う〜ん!

ホントかな〜・・・




金谷坂の上に、右の写真の芭蕉の句碑がありました。

”馬に寝て 残夢月遠し 茶の畑”





金谷坂を登り切って暫く茶畑を歩くと、右下の写真の諏訪原城跡の案内板がありました。



更に進むと、今度は、間の宿(あいのしゅく)の菊川宿の菊川坂石畳の下りの坂道が続きます。



この菊川坂の石畳も、平成13年の町民参加の復元だそうです。

またまた驚き!

この辺りの村は、平成になってから旧東海道の復元ブームでも迎えているのでしょうか?

金谷坂も菊川坂も、石畳というより、大きな丸い石ころの登り坂、という表現の方が正確で、箱根越えを思い出します。

こんな石ころの登り坂は、雨の日は大変だったのでしょうね。






















そういえば「東海道中膝栗毛」でも、この金谷坂越えの日は雨です。

”客を送った帰りだから安くするよ”と駕籠屋に勧められた喜多さんは、自分だけ、次の日坂宿まで駕籠で行く事にします。

しかし、菊川坂で、巡礼姿の物乞いを追い払おうと、駕籠の中で力んだはずみに、駕籠の底が抜けてしまします!

雨の中、菊川坂の途中で、どうしようもなく、駕籠屋は、自分達のふんどしを脱いで、駕籠の周囲と抜けた底にふんどしを巻いて補強します。

白いふんどしで囲まれた駕籠の中の喜多さんは、”刑場送りの罪人みたいだ”と、弥次さんに、からかわれ、怒って駕籠からおりてしまいます。

雨はますます激しくなり、二人は、坂道を何度もすべりながら日坂宿を目指します。






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