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24-2:小夜の中山峠

2011.11.14  2012.9.15

金谷宿を抜けて、金谷坂と菊川坂を越えて、牧ノ原台地のお茶畑を進むと、いよいよ小夜(さよ)の中山峠です。



小夜の中山は、箱根峠、鈴鹿峠と並ぶ東海道の三大難所
でした。

また「小夜の中山」は、平安時代の和歌などにたくさん詠まれており、日本文学上は、古くから人々に親しまれた地名です。

茶畑の山の斜面で老夫婦が作業していました。

老夫婦と挨拶を交わして通り過ぎます。

急斜面の茶畑の農作業は大変そうです。

小夜の中山の坂は、横浜の坂に慣れている私にも厳しいです!

坂と言うより崖に近い急斜面で息が切れて・・・

もうダメ!

坂の途中で一休みです!

でも急こう配は、思ったほど長くは続きませんでした。

小夜の中山の急こう配を登り切ると、下の写真の
久延寺というお寺があり、ここで小夜の中山峠の登り坂は終わりです!











その後は、秋晴れで気持ちの良い天候の中、
小夜の中山の下り坂が、写真の様な茶畑の中を延々と続きます。

楽な下り坂で、思わず浪曲の鼻歌がでます。

♪旅ゆけば〜♪ 
 駿河の国に〜♪
 茶の香り〜♪


あれっ?

駿河の国は大井川まででだから、今歩いている茶畑は遠州の国ハズ・・・?

”でも遠州森の石松”というから間違いでもないのかな?
よく解りません・・・

清水次郎長は、東海道一の大親分だったので、勢力圏が駿河と遠州にま
たがっていたのでしょうか?










広重の絵で有名な「夜泣き石」は、旧国道1号線沿いのお土産
屋「小泉屋」の脇と、久遠寺の2か所にあります。

久遠寺のある小夜の中山峠の旧東海道は、今回、狭くてバスが入れないので小泉屋脇のみ見学します。

昔、小夜の中山の
お石という女が、腹痛で苦しんで休んでいるところを、轟業右衛門に殺され金を奪われます。

お石の
魂は、そばにあった石に乗り移り、毎晩泣いていました。

里人は
夜泣き石と読んで恐れます。

懐妊していたお石の
赤ん坊は無事で、音八と名づけられ、久遠寺で育てられます

久遠寺では、音八を、右の写真の水飴「
子育て飴」で育てたそうで、右上の写真は、その「子育て飴」を売っている「小泉屋」です。

音八は、のちに刀研ぎ師になります。

音八の刀研屋へ、業右衛門が刀を研ぎに現れたので、聞いたところ「小夜の中山で妊婦を切り捨てたとき、丸石に当った」と言ったので、母の仇とわかり、仇討ちしたという事です。


下の写真の
浮世絵は、小夜の中山の「夜泣き石」です。



旧東海道を、更に歩いていくと、旧国道沿いとは別の下の写真の「夜泣き石跡」の碑がありました。



旧東海道は、小夜の中山を過ぎると急な坂の連続となり、この急な坂を下り切り、国道1号線の下をくぐると日坂(にっさか)宿です。








金谷宿から日坂宿まで約6キロです。





















(小夜の中山公園)



(小夜の中山一里塚)





(涼みの松)




24-1:金谷 へ

25: 日坂 へ


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