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27:袋井


2011.11.15
間の宿「原川」を抜けて、暫く進むと、右手に富士浅間宮の大きな赤い鳥居が見え、これが袋井の町の入口の目印です。

袋井宿は、東海道五十三次の江戸側から数えても、京都側から数えても、ちょうど真ん中の27番目の宿です。

そうか!

私もやっと
東海道の半分を歩いたんだ!

我ながらよく頑張ったな〜!

袋井に入ると、右手に「
東海道ど真ん中東小学校」の看板が!

「ど真ん中」の「袋井東小学校」ではなくて、正式の学校名が「ど真ん中東小学校」というのがすごいです!

袋井市の教育委員会?も巻き込んだ「ど真ん中」を売りだそう、という熱意が伝わってきます。













袋井市の市役所の近くの天橋(あまはし)の脇に、写真の無料休憩所の「
東海道ど真ん中茶屋」がありました。

ど真ん中茶屋は、右の
広重の「出茶屋の図」を模して作られた店で、地元のお年寄りがボランティアで無料のお茶を出してくれます。

お土産に写真の東海道53次の地図入りの手拭いを買います。 

ど真ん中茶屋には、一人の先客が居て店主と話をしていました。

私が”日本橋から歩いている”というと、先客は目を輝かせて”東海道五十三次の五十三の由来”について、色々と話してくれました。

その話によると、
徳川家康が信仰していた華厳宗の経典に出てくる53人の菩薩に基づいて五十三の宿場町を決めたのだそうです。

そして、その方から、別れ際に名刺を頂きましたが、その名刺を見てビックリ!!

私は、この徒歩旅行では、
「東海道五十三次ガイド」という文庫本(講談社:750円)を持ち歩いていますが、
何と!!
このおじさんは、この文庫本の著者だったのです!!

おじさんも、”この本を利用している人に実際に会えて嬉しい、編集仲間に報告しなくては!”と言っていました。

そのおじさんは、これから袋井駅から東京へ戻るとのことでしたので、引き続き、店の主人から袋井宿について、色々と教えてもらいました。

それによると、
死者1,200人等の甚大被害を出した
昭和19年の東南海地震地震では、袋井流域の木造家屋が特に被害の大きく、江戸時代のままの旅籠が残っていた袋井の宿場町は壊滅状態になったそうです。

当時は戦争中のため、
報道管制で、宿場町が壊滅したことは報道もされなかったそうです。


お土産に写真の
東海道53次の地図入りの手拭いを買います。












ど真ん中茶屋の主人のアドバイスに従い、見付宿を見物してから、JR磐田駅へ向かい、今晩の宿の浜松へ向かうことにしました。


このど真ん中茶屋が袋井宿入口で、茶屋を出てから案内版に従って、
袋井宿の本陣跡、高札場、問屋場跡などを見物しながら歩きます。

町中に遺構は残っていませんが、袋井宿場公園、袋井宿東本陣公園が整備されています。

当時のものはほとんど残っていませんが、各所の案内板は非常に詳しく、江戸時代の旅の知識を得るのに参考になります。

袋井宿を抜けて見付宿を目指します。









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