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28-1:見付宿


2011.11.15  2012.9.16
旧東海道は、国道1号の左側を並行して走り、やがて国道1号を斜めに横切り、1号線の右側に変わります。


「東海道五十三次ガイド」によると、この旧東海道と1号線とがクロスする地点が、
遠州の鈴ケ森の処刑場の跡で、打ち首になった白浪五人男のリーダーの日本左衛門が獄門にかけられた供養塔がある、と書いてあります。

遠州鈴ケ森の看板を見つけて、直角に近い石垣の急な石段を、手すりにつかまりながら登ります。

階段を登った所は、雑草が生い茂り、6畳一間くらいの狭いスペースしか無く、そこに石碑が二つ建っていましたが、説明板も何も無く、石碑の字も読めないので、日本左衛門の供養塔なのかどうか、
よく分かりませんでした


遠州鈴ケ森から暫く歩くと、愛宕神社の階段があり、階段を登ると、下の写真の一人旅のときには見落とした阿多古山(あたごやま)一里塚がありました。



愛宕神社の階段を降りると、見付の宿場町に入った感じで、街道沿いには、問屋場跡などの丁寧でわかり易い案内板が続きます。

下の写真の
脇本陣跡の門は、江戸時代のそのままの門が残っていました。


見付」と言っても、皆さんはピンと来ないと思いますので、あのサッカーのジュビロ磐田の「磐田市」と言った方が良いかもしれません。

(ジュビロ磐田の旗)

こんな小じんまりした小さな町で、あんなに強いサッカーチームが何故成り立つのでしょうか?

う〜ん?


街道を更に進むと、写真の
旧見付学校がありました。

「旧見付学校」は、
現存する日本最古の洋風木造建築の校舎だそうです。

洒落たデザインの素敵な建物ですよね。

見付宿のメインストリートは、歩道の幅が広くて歩き易いです。






















東海道は、見付宿の町中の街道を左折しますが、真っ直ぐ行くと「姫街道」です。

これは、東海道の新居宿の
新居関所の「女改め」が厳しかったので、姫様たちがこれを嫌い、峠のある池田街道(姫街道)を通る様になったそうです。



見付宿は、古代には遠江の中心として国府が置かれました。

国分寺跡には、国分寺の礎石があり、史跡公園として整備されています。


道路を挟んで、国分寺跡の向い側に、下の写真の遠江の国の
国府八幡宮があります。











(国分寺跡)






日没が早いので、見付宿の南の端のJR磐田駅から、JRに乗って宿を予約している浜松駅に向かいました。


(JR磐田駅)

次の日は、浜松から磐田駅まで戻ってスタートする予定です。










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