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30-1:舞阪


2012.12.11  2012.9.16
旧東海道を先へ進むに従い、横浜から東海道線で
往復する電車賃が、段々と高くなってきました。

そこで、船橋在住・原人(げんじん)様のアドバイスに
従い、今回から「青春18きっぷ」を利用して出掛け
ます。

(5枚で11,500円、有効期間:12/10〜1/10)

横浜駅を早朝6:30に出発、熱海、静岡、浜松と3回
乗り換え、11:00に前回の続きのJR舞阪駅
スタートします。

この時期、昼間で晴れてはいても、風が冷たいです。

JR舞阪駅を出ると、すぐに舞阪の松並木が始まり
ます。

旧東海道の面影を良く残す並木が340本、700メートルの続く見事な松並木です!


東海道の松並木ランキングです!

第一位:御油、 第二位:舞阪、 第三位:大磯

これまでに見た松並木の中では最高です!

冬晴れの下、快適なウォーキングです!

更に、少し歩くと、写真の舞阪宿の茗荷(みょうが)屋脇本陣がありました。

この脇本陣は、東海道の脇本陣では、唯一の
現存する遺構
です。

この脇本陣は、明治に入り町役場としてそのまま
使用され、その後、個人の病院となっていたのを、
解体・復元し、平成9年に一般公開したそうです。

内部を無料で案内してくれます。

案内の人の話では、解体・復元に、2億6千万円
かかったそうです。





(JR 舞阪駅)











(脇本陣)

(脇本陣の上段の間)




茗荷脇本陣
のおばさんの以下の説明が面白かったです。

今でも、舞阪の人は、対岸の人とは結婚しないそうです。

これは、
江戸時代は、対岸の隣村に行くのに、パスポート(通行手形)が
必要だった
からだそうです。

しかも、
通行手形は、30キロも手前の磐田まで貰いに行かなければ
なりません。

これにより、江戸時代になってから、
両岸の人的交流が全く無くなりました。

このため、
言葉や食べ物の、関西と関東の境目になっていて、隣村同士で
言葉が通じない
そうです。

そうか!

関西と関東の境目はここなんだ!








脇本陣の直ぐ先は、もう浜名湖に面した舞阪港で、
当時の北雁木(きたがんげ)の船着き場跡
ありました。

舞阪港には、遠州灘で獲れた魚と、浜名湖で獲れた
魚の両方が集まるそうです。

浮世絵鰻取りの小舟だそうです。



この港の端の赤い弁天橋を渡り、この舞阪宿と次の
新居宿の中間に位置する弁天島へ向かいます。

(北雁木)





電車で行く東海道 (舞阪宿 : 三度「舞阪宿」を歩く) 2016.1.3



(写真は、舞阪宿の松並木)

私の街道歩きのポリシーである”気に入った所は何度も歩く”に従って、正月休みに、3度目の
旧東海道「舞阪宿」を歩きました。

(過去2回の「舞阪宿歩き」については、2011.12.11の中の「30:舞阪宿」、2012.3.23の中の
 「30:舞阪宿」のブログを見てね。)

この時期に歩いた理由は、青春18切符の消化です。(有効期間:12/10〜1/10)



横浜駅を早朝7:00に出発、熱海、沼津、浜松と3回乗り換え、11:12に、浜松駅から2駅先の
「舞阪駅」に到着しました。



(舞阪駅)

浜松と言えば、”うなぎ”!

舞阪駅前の鰻屋「山本亭・本店」に入って腹ごしらえをします。




お店には注意書きが!

「天然ウナギは、キモの中に、釣り針が入っている場合がありますので、ご注意下さい。」


え、えっ〜、そうなの?



気のせいか、天然ウナギは、味が濃くて美味しいです!

腹ごしらえが出来たところで、旧東海道に出ると、すぐに舞阪の松並木が始まります。

旧東海道の面影を良く残す340本もの松並木が、延々700メートル続きます。







でも、江戸時代には、現在の4倍もの本数の1,420本で、延々920メートルも続いていたそうなので、
圧巻だったのでしょうねえ!









東海道と中山道を通して、これまでに見た松並木の中では最高です!







綺麗に手入れされた松並木には、広重の東海道53次の各宿場のレリーフが順番に並んでいます。



この時期、風は冷たいですが、冬晴れの下、快適なウォーキングです!



上の写真は、太鼓を叩いている「浪小僧」で、地引網にかかった浪小僧が、海に返してもらった
お礼に、海が荒れる時には、太鼓を叩いて知らせてくれるそうです。

(遠州七不思議伝説)



この先、松並木が、国道1号を斜めに横切ると、舞阪の宿場町が始まります。





舞阪宿は、昔から、浜名湖での海苔の養殖が有名で、街道沿いに新海苔を売る店が点在します。



上の写真は、宿場町の見張所である「見付」の跡で、当時の見付の石垣を残しています。





(「舞阪の一里塚」跡の碑)



(「本陣跡」の碑)
舞阪宿では、1809年、宿場の大半を焼き尽くす大きな火事に見舞われました。



このため、防火の秋葉信仰が広がり、舞阪の街道沿いに、3基の常夜燈が建てられました。

更に、少し歩くと、東海道の脇本陣としては唯一現存する「茗荷屋(みょうがや)脇本陣」がありますが、
年末年始の休館で閉まっています・・・





(脇本陣の内部については、2011.12.11の中の「30:舞阪宿」、2012.3.23の中の「30:舞阪宿」の
 ブログを見てね。)

脇本陣の直ぐ先は、もう浜名湖に面した舞阪港です。昔は、浜名湖は、海とつながっていない淡水湖
でしたが、1498年の大地震により、淡水の浜名湖と海がつながってしまいました。


そのつながった場所を「今切(いまぎれ)」と呼び、今切には、下の写真の北雁木(きたがんげ)が
あります。



北雁木は、次の新居宿との海上1里(約4キロ)を結ぶ「今切の渡し」の船着き場跡です。

舞阪港には、遠州灘で獲れた魚と、浜名湖で獲れた魚の両方が集まるそうです。

新年ということで、舞阪港には、大漁旗を掲げた漁船がたくさん係留されています。





(漁船の小さな門松)

舞阪港の端の赤い弁天橋を渡り、舞阪宿と次の新居宿の中間に位置する弁天島へ向かいます。



上の写真は弁天島の沖の鳥居で、背景の高架の道路は、国道1号の浜名バイパスです。

弁天島はリゾート的な観光地で、海岸にホテルのビルが建っていますが、シーズンオフのせいか
人影はあまりありません。



海岸の説明板によると、春は潮干狩り、夏は海水浴で賑わうらしいです。




29:浜松 へ

30-2:浜名湖 へ
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