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31:新居宿


2011.21.11  2012.10.6
舞阪宿の船着き場跡から、浜名湖を横切る
専用歩道橋を歩いて、
新居(あらい)宿の
船着き場跡
に着きました。


江戸時代は、新居で渡しの舟を降りると、
すぐ目の前が新居関所だったそうです。


浮世絵は、今切(いまぎれ)の渡しで、舟が
舞阪から新居の関所へ向かっているところです。

この
「今切の渡し」を「一里の渡し(4km)」
呼び、
宮(名古屋)と桑名(三重)の渡しを
「七里の渡し(28km)」
と呼んだそうです。

皇女和宮(NHKドラマでは堀北真希)は、
徳川家茂(松田翔太)への降嫁の際、当初は、
東海道を通って江戸へ行く予定でしたが、
婚姻に「
今”切”(いまぎれ)」は縁起が悪い
という事で、
中山道に変更になったそうです。

ところが、中山道も「離れ山」や「追分」といった
縁起の悪い地名がありました・・・

そこで、何と!!

「離れ山」は「子持ち山」に、「追分」は「合生
(あいおい)」
地名を変えてしまってから
中山道を進んだそうです!

驚き!!


新居関所は、由比正雪の乱以降は、鉄砲の
持ち込みのチェックを目的としたそうです。

関所の建物が残っているのは、旧東海道では、
新居だけで、国の特別史跡
だそうです。


写真は、新居関所の当時の役人による検問の
様子を再現した人形です。


右の写真は、新居関所の船着き場です。

舟が舞阪から新居の関所に着くと、旅人は、
そのまま関所の中へ向かわざるを得ません。

下の写真は、関所で一番偉い役人の「番頭」
ですが、”番頭
(ばんとう)”ではなく、”番頭
ばんがしら)”と読みます。




Q.説明の人の話によると、関所では、武士に
交じって、町人が下働きをしていましたが、
町人と武士の区別は、頭で見分けられるそう
です?

 さて、その方法は?

 A.右下の写真の
白装束が町人で、黒装束が
武士
です。

 では、違いが分かりますか?

正解は、
町人は髪が耳にかかり、頭の後ろの
髪が膨らんでいる
のに対し、武士は髪から耳が
出ていて、頭の後ろの髪が膨らんでいない

ところで見分けるそうです。

白と黒の装束ではありませんよ。


新居関所は、
江戸からみて最も遠く(最も西)
にある関所
です。

関所は、西軍の残党の進軍から、江戸を防衛
することが目的なので、
ここより更に西は、
江戸から遠すぎて防衛の必要がないから
関所も無い
のだそうです。

同様の理由で、
ここより更に西の川には、
全て橋が掛けられていた
そうです。

ちなみに、東海道の三大大橋は、全てここより
西側にあります。


新居の関所は、全国で唯一現存する関所です
が、海岸にあることから、江戸時代にも、度々
津波に襲われ、3度も移転し、4度も立て直し
たそうです。

このため、明治2年に関所の取り壊し命令が
出た際、まだ新築だったので、そのまま役場に
転用されたため、全国で唯一現存する関所
として残ったのだそうです。


下の
浮世絵大名行列ですが、旅人の場合と
身分が逆転するため、
関所の役人が土下座
する中を、大名行列が新居関所を通過して
います。



写真は、
関所の正門です。



関所が開いていたのは、
明六つ(朝6時)から
暮六つ(夕方6時)
の12時間でした。

































(女改めの部屋)




今、「古着屋総兵衛 影始末(1巻〜11巻)」(新潮文庫:
佐伯泰英著、各740円)の
第5巻「熱風」を読んでいます。

以下がそのストーリーです。

江戸で、突如、伊勢参りが流行しはじめます。

幕府の隠密である主人公の総兵衛は、この
集団での伊勢参りを
あおる黒幕を求め
て、東海道の宿場町を西へ向かいます。

”総兵衛一行は、岡部、藤枝、島田宿と進み、大井川を渡った。

さらに
金谷、日坂、掛川、袋井、見附、浜松とたどって、舞坂で
浜名湖を横切る渡しに乗り、新居宿に上陸
、ただひたすら
黙々と伊勢を目指して西行を続けていた。”

このシリーズの
第2巻も、”仇打ちのために、江戸へ向かう
赤穂浪士を切れ”という密命を受けた総兵衛一門が、
東海道の
各宿場町に散らばって、赤穂浪士達を待ち受ける
という、
東海道53次の宿場町を舞台にした時代小説
です。

最近は、この小説を読みながら、東海道53次を歩いていますが、
ウォーキングに臨場感が加わって、非常に楽しいです。












2

関所の近くに、右の写真の江戸時代の
旅籠の
紀伊国屋
が公開されていました。
(関所と合わせて400円)

紀伊国屋の主は紀州の出身で、紀州藩関連の
泊り客が多かったらしいです。

また当時、宿の食事のウナギの蒲焼きが
好評だったということです。


お昼は、新居宿で浜名湖のうな重を食べました。


更に進むと、下の写真の
飯田本陣跡の古い
建物に突き当たりますが、この建物には、
今も人達がそのまま住んでいましたが、本陣の
末裔の人だそうです。




旧東海道は、新居宿を抜けて、所々に美しい
松並木の続くなだらかなカーブの道を西へと
進みます。




更に歩いてゆくと、まもなく始まる急な坂が、
東海道の難所であった潮見坂で、白須賀宿の
入口です。

新居宿から白須賀浜松宿まで約7キロです。





風呂場には何故か由美かおるの写真が?









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