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34:吉田宿


2011.12.12  2012.10.7

二川宿を出てから、トラックの排気ガスに耐えながら、歩道が狭くて歩きにくい国道1号を、約2時間、我慢して歩き、
吉田宿に入ります。


吉田と言っても、ピンと来ないと思いますが、豊橋のことです。

吉田宿は、豊橋市の繁華街とほぼ重なります。

市の中心部を走る市電が懐かしいです。



お昼は、JR豊橋駅の近くで、
豊橋名物の右下の写真の「豊橋カレーうどん」を食べます。

駅前には、カレーうどんの店が並んでいて迷いますが、玉川というお店に入ってみます。

汁がハネない様に、焼肉店の様な
紙のエプロンを渡されます。

うどんを食べるのに、エプロンを渡されたのは初めてです。

自家製麺のうどんだそうで、味は濃いけど、甘すぎず辛過ぎずで、
見かけによらず美味しいです。

食べ終わったかと思ったら、
深い鉢の底には、ご飯が!

ルーが残りがちなカレーうどんを最後まで食べてもらうため
、器の底には、ご飯があるらしいです。

う〜ん、
雑炊みたいな味です。

うどんの一回だけで終わらないのが、名古屋的なのでしょうか。

食文化では、もう既に、名古屋圏に入ったみたいです。


吉田宿は、豊橋市街地に重なるため、本陣跡などの碑はあるものの、旧東海道の跡は何も残っていません。

吉田宿(豊橋市)の中心街の市電・札木駅の近くの鰻屋が、下の写真の本陣跡です。













(豊橋カレーうどん)



繁華街の中心にある
吉田城へ向かいます。

再建された吉田城の櫓の中は、日曜祝日
のみ公開されています。

一日違いで見学は出来ません!

残念!

でも、吉田城跡は、
豊橋公園として整備されており、お城の堀、石垣などはそのまま残っていて、いつでも見学できます。

市の中心部に、テニスや野球なども出来る、この様な緑豊かで広大な憩いの公園があるというのは素晴らしいです。








浮世絵
の写真の左手は、豊川に掛かる吉田橋で、右手は、吉田城の櫓です。

お城の櫓には、左官が壁塗りの作業をしています。

そして、下の
現在の写真の左手が浮世絵の吉田城の櫓で、右手が豊川、右中央奥がこの豊川に掛かる吉田橋です。

吉田城は、池田輝政が整備した城で、現在は、豊橋公園として、堀、石垣、土塁などが残っています。



お土産に、この本陣跡近くにある文政10年(1827年)創業の
ヤマサ本店のちくわ(5本入:630円)を買います。





これは、吉田宿を流れる豊川に湊があり、ここで多くの海産物が取引されていた名残りだそうです。

バスの旅の際は、この吉田(豊橋)で1泊します。




(浮世絵と同じ現在のお城の櫓、豊川、吉田橋)

完全踏破の徒歩の旅では、JR豊橋駅の近くに宿をとり、翌朝、7:30に宿を出て、市の西方の豊橋へ向かいます。

豊川」に架かる市の名前の由来となった「豊橋」を渡ります。

この豊川には、江戸時代には港があり、このために、吉田宿は城下町・宿場町の他に、港町の機能を持つ、一大商業都市として、大いに繁盛したそうです。

豊川は、水量が豊な大きな川です。

豊橋は、瀬田の唐橋(滋賀県大津)、矢作(やはぎ)橋(愛知県岡崎)と共に、東海道三大橋の一つだそうです。

豊橋を渡ると、旧東海道は、国道1号にずっと平走していて、右手に、時々、国道1号の車の流れを見ながら歩いてゆきます。


やがて、豊川放水路に架かる高橋を渡ります。

橋の前後には歩道がありますが、
橋の上だけ全く歩道がありません!

どうすれば良いの?

仕方なく、車の切れ目を狙って、
全力疾走で橋の上を走り抜けました。

はあ〜、はあ〜 (息切れが・・・)

知らない土地を歩いていると、時々、この様な訳のわからない目に会います。

地元の人はどこを歩けばよいのか知っているのでしょうけど・・・


次に、東三河環状線の道路を横断しますが、これまた右の写真の様に、
渡る道に中央分離帯があり、横断出来ません!

これは一体何なの?

参ったな!どうすれば道を横断出来るの?

途方に暮れていると、歩道の脇に、「東海道ネットワークの会21」が貼り付けた迂回路への誘導の矢印が!

こういうのがあると助かるな〜!

ネットワークの会さん、ありがとう!

更に、国道1号沿いの旧東海道を、1時間ほど歩くと、国府町に入りました。

御油宿に近づいた雰囲気があります。


吉田宿から御油宿まで約10キロです。




(豊橋)







(高橋)









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