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35:御油宿


2011.12.13  2012.10.7

吉田(豊橋)で1泊したバス旅行は、右の写真の御油宿の
姫街道への分岐点から出発します。

姫街道は、浜松宿から浜名湖の北側を通り、この御油宿へ至るルートで、
「女改め」が非常に厳しかった新居関所を避けるため、こちらの脇街道を選ぶ女性が多かったそうです。


右下の写真の右側の石碑は、芭蕉の

”夏の月 御油より出でて 赤坂や”

の句碑です。

(夏の月の出ている間の短さは、御油から赤坂の間を過ぎる時間の様に短い。)


更に下の写真の
東林寺は、説明板によると、室町時代の創建で、奥州に下る源義経と契りを結んだ三河矢作(やはぎ)の浄瑠璃姫(じょうるりひめ)の念持仏が当寺の本尊、とあります。

源義経は、いろんな所で契りを結んでいるんでしょうかね?


いかにも田舎ののどかな風景の素敵な川にかかる
御油橋を渡り、御油宿へ入ります。


宿へ入ると、御油高札場跡の説明板がありました。


更に進むと、本陣跡もあります。




少し歩いて、風格のある民家が点在する御油宿を抜けると、右の写真の「
御油の松並木」です。

写真の様に
見事な松並木です!

舞阪の松並木も素晴らしかったけど、こちらの松並木も道路のカーブが、いかにも東海道という感じで趣があります。

こちらは、
国の天然記念物指定です。

でも、残念ながら、ここでは、樹の勢いが衰え、枯れかけた松や切り倒された松が目立ちます。

手遅れにならないうちに、車の乗り入れ禁止にした方が良いと思います


松並木を抜けると説明板があり、また松並木の説明かと思ったら、もう赤坂宿の説明板でした。

近ッ!

近すぎ!


御油宿と赤坂宿の間は、わずか1.7キロ
です。

このため、江戸時代には、
しっぽの短い猫を「御油猫」と言ったそうです。

この御油宿と次の宿場町の赤坂宿は、もともとは一つの宿場だったため、僅か1.7キロしか離れていません。

このため、別々の宿場になった後は、2宿の旅籠同士の客引き競争がすざましかったそうです。













(風格のある民家)
















浮世絵は、夕暮れの賑やかな御油宿で、路上では、客引きの留女(とめおんな)が、強引に旅人をつかまえています。

現代の様に
電話予約が出来なかった江戸時代では、当日その場で宿を決めなければならなかったため、宿場町では、各旅籠の客引き合戦がすごく、旅人を引きとめる留女が活躍したそうです。

特に、
御油宿と赤坂宿の争奪戦が激しく、旅人の袖や荷物にしがみついて旅籠に引きづり込んだそうです。

実際に、袖を引きちぎられる旅人も多かったというから驚きです!

旅人へのサービス競争も凄くて、マッサージ、髪結い、飯盛り女、たばこ等の出張販売など、至れり尽くせりだったみたいです。

御油宿は、茶屋(遊郭)が多いことで有名だったそうです。

浮世絵の右手には、広重の版元の竹之内の名前と共に、摺り師や彫り師の名前がさりげなく書かれていて、当時の浮世絵が出版の広告の媒体でもあったことが
分かり面白いです!

浮世絵の右手の旅籠では、泊り客が腰掛けて足を洗っています。







東海道中膝栗毛」では、この御油宿と赤坂宿の間の短い道が、弥次さんがキツネに化かされた、と思いこむ話の舞台になります。

弥次さんは、御油宿まで歩いてきたところで、バテてしまい、茶店で一休みします。

そこで、喜多さんが、先に一人で赤坂宿に行って、宿の予約をして待つことになりました。

弥次さんは、その茶店の主から、この先の
松原に悪いキツネが住んでおり、よく旅人がバカされる、という話を聞かされます。

やっと、弥次さんが歩きだすと、もう辺りは薄暗くなっており、遠くでキツネの鳴き声が聞こえます。

すると、
暗がりの中に、土手に腰掛けている喜多さんの姿が!

”お前、何故、ここに居る?”、

”先に行こうと思ったが、キツネが出るという噂があるので、弥次さんをここで待っていたんだ。”、

”ふん、そんな手にのるものか!、それにしても、
上手く化けたな!

弥次さんは、
喜多さんを、手拭で縛り赤坂宿へ連れて行き、キツネが正体を現す様に、近くにいた野良犬を呼びます。

すると、近づいてきた
野良犬は、喜多さんに吠えずに、尻尾を振っています。

そこで初めて、弥次さんは、
喜多さん本人だと気付きます。


御油宿から赤坂宿まで約2キロです。









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