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36:赤坂宿


2011.12.13  2012.10.7


赤坂宿に入ると、下の写真の本陣跡の標識があり、その近くに、右の写真の高札場が当時のままに再現されていました。




少し歩くと、下の写真の
旅籠・大橋屋がありました。

江戸時代からの旅籠「大橋屋」は、広重の浮世絵のままの店構えの形態を残しながら、現在も営業しています。

東海道で唯一の現役で営業している旅籠だそうです。

大橋屋は、
広重も描いた旅籠屋で、築300年と江戸時代のそのままの姿で、表に掛けてある大提灯は見事です。

(浮世絵の旅籠「大橋屋」) 

当時のそのままの家屋で、江戸時代からずっと営業してるなんて凄い!!

大橋屋の格子戸を開けて、中を覗くと、おじさんが、右の写真の左側の格子の向こうで、
鍋料理の最中でした。

おじさんに見学したい旨を告げます。

鍋料理の手を止めて、旅籠中の電気を点けて回ってくれました。

人の好さそうなおじさんで、、”来てくれてありがとう”と、中庭にある
芭蕉が句を詠んだという右の写真の石灯籠等の説明をしてくれました。

(とり込み中、申し訳ない!)

当時のままの磨き抜かれた床に時代を感じます。

二階の客間の見学も終えて、土間に降ります。

”ありがとうございました!”と、
大きな声を掛けて旅籠を出ようとすると、格子の奥の
鍋料理の鍋が、激しく吹きこぼれています!!

”すみません〜!

”応答がありません!

再び、ありったけの大声で叫びます!

”おじさ〜ん!
お鍋が大変!
早く来て!!”


ようやく、おじさんが出て来ました。

”忘れてた!危ない、危ない、ありがとう。”

(でも、危ない原因をつくったのは、オレだからな〜・・・ 
 悪いな〜・・・)

”ありがとうございました”
と声を掛けて旅籠を出ますが、おじさんは、
吹きこぼれたお鍋の後始末で、挨拶どころではなさそう・・・

(大橋屋のおじさん、ありがとうございました。
 今度は、宿泊に来ますね。)























  (現在の旅籠「大橋屋」) 










中庭の石灯籠














(休憩所:よらんまい館)


昨年の一人旅の際、大変お世話になった19代目の大変人の良いおじさんが、今回のバス旅行の際も、泊り客の準備で忙しい中、丁寧に説明してくれました。


天井は、右下の写真の様に、大きく曲がった見事な松の木を使用しています。

この
曲がった大きな松の木の梁が、二階の客間の障子の幅にしわ寄せされています。

障子の幅が微妙に皆異なるのは、この曲がった松の木の梁の影響なのです。


二階の八畳の客間は、良く見ると、下の写真の様に、
変形の七畳の間になっています。

これは、窓側をそのままにしておくと、泊り客が
大名行列を見下ろす形になってしまうため、あえて半畳を削って、その分を床の間にしてあります。

つまり、大名行列の側を上座の床の間として、直接覗き見しませんよ、という体裁をとったらしいです。

なるほど!

東海道に現存する貴重な文化財で、現在でも
予約すれば宿泊出来ます

芭蕉も大橋屋に投宿し、
”夏の月 御油より出でて 赤坂や” 
と、御油宿と赤坂宿の間が短いことを詠っています。

19代目のおじさんが元気なうちに、是非、予約して泊まりに来たいと思います。



(天井の曲がった大きな松の木の梁)

(微妙に異なる障子の幅)







浮世絵
は、広重には珍しく旅籠の中庭の図で、
中庭には
ソテツが植えられています。

この絵の旅籠は、現存する
大橋屋がモデルだそうです。

この絵のソテツは、近くの浄泉寺に移植され今も下の写真の様に残ってます。

浮世絵の左の部屋では、客の男が寝そべり、女中がお膳を運んできています。

右の部屋では、飯盛女(めしもりおんな:娼婦)達が化粧をしています。





赤坂宿から次の藤川宿へは、山間の道となるため、少し早いですが、名鉄の
名電赤坂駅から、横浜へ戻ります。









浄泉寺




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