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37-1:藤川宿(本宿)


2011.12.29  2012.10.7
旧東海道を先へ進むに従い、ウォーキングのスタート地点が、横浜から、どんどん遠くなります・・・

それに合わせて、横浜駅で乗る電車の時刻も、段々と早くなってきます・・・

今回は、横浜駅を、早朝6時過ぎの電車で出発、途中で4回も乗り換え、11時半に前回の続きの名電赤坂駅をスタートします。

JR横浜(6:13)→沼津(8:09)→浜松(10:20)→豊橋(10:55)→名鉄豊橋(11:15) →国府(11:25)→ 名電赤坂(11:30)


赤坂宿を抜けて、旧街道は、国道一号との合流と分離を繰り返しながら、藤川宿へ向かいます。

分離した旧街道を歩くのは、冬晴れの空の下、快適なウォーキングですが、国道一号と合流すると、トラックの排気ガスに悩まされながらの山間のウォーキングに変わります。

山間の道を進むと、やがて
岡崎市に入ります。

まもなく、道路脇に、下の写真の
本宿(もとじゅく)の大きな冠木門が目に入ります。

冠木門は、平成6年の設置とあり、本宿の説明板がありました。

本宿は、赤坂宿と藤川宿の中間に位置する間宿(あいのしゅく)です。

間宿(あいのしゅく)とは、宿場間の距離が長い所などに休憩を目的につくられた宿です。




















やがて、東海道の左手に、写真の徳川家康が幼少時代に修業した法蔵寺がありました。

法蔵寺は、かっては、三河屈指の大寺院だったそうで、本宿は、元々は、この法蔵寺の門前町だったそうです。

石段を登り境内に入ると、
「誠」の旗

その
「誠」の旗につられて、更に、お寺の裏の石段を登っていくと、そこに意外なものを発見しました!!

それが、右の写真の
新撰組の隊長だった近藤勇の首塚と胸像です。

でも、あの有名な近藤勇の墓が、
何故ここに?

近藤勇は、流山で官軍に捕えられたあと、板橋で斬首され、その首は京都の三条大橋でさらし首になりました。

同志が、その
さらし首を盗み出し、近藤勇と親しかったこの寺の住職に頼み込んで、こっそり埋葬してもらったのだそうです。



(一里塚)







(近藤勇近藤勇の首塚)





更に進むと、下の写真のシーボルトの門人に医学を学んだ宇津野龍碩(うつのりゅうせき)邸跡と長屋門(現存)がありました。

本宿の町を抜けて、しばらくは、
名鉄名古屋本線、東名高速道路と並行して進みます。


赤坂宿から藤川宿まで約9キロです。







36: 赤坂 へ

37-2:藤川 へ
                   
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