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37-2:藤川宿


2011.12.29    2012.10.7

しばらくは、右手に、
名鉄、東名高速を見ながら並行して進みます。


名鉄の電車が横を走るのを眺めながら、トラックの排気ガスを我慢して、山中の一本道をひたすら歩き
ます。


すると、何もない山の中に、忽然と、右下の写真の
名鉄の巨大な車両基地が!

凄い!

感動!

でも、こんな山中にどうやって通勤を・・・?

そうか!自社の名鉄で通勤すれば良いんだ、
駅も職場の前だし!



右手に車両基地を見て国道1号を進むと、すぐ左手に、藤川宿への分岐する道の表示がありました。


藤川宿の入口には、
広重が描いた「東棒鼻」(ひがしぼうばな)が再現されています。

棒鼻とは、宿場の出入口のことで、大名行列の際は、役人がここで出迎えたそうです。

見附と同じ意味です。

浮世絵は、棒鼻と呼ばれる宿場町の端です。

行列を迎える二人の宿場町の役人と、笠を脱いでひざまずく旅人です。

藤川宿の出入口には、江戸側に東棒鼻、京側に西棒鼻があります。

棒鼻の”鼻”は、突端の意味です。









(名鉄の車両基地)













町の中ほどに、藤川宿の見学者用の駐車場とトイレがありました。

この時期、トイレの設置はありがたいです。


元商家の銭屋の当時の名残を残す建物があり、また、問屋跡や本陣跡の説明板がありました。








(藤川本陣跡)





(藤川宿脇本陣跡)

更に進むと、当時のままの門が残る、上の写真の藤川宿脇本陣跡がありました。

敷地内には、
藤川宿資料館があり、宿場町模型、高札、古図などが展示されています。



藤川宿の出口に「
西棒鼻」、その向いの藤川の十王堂の境内に、芭蕉の句碑がありました。

”ここも三河 むらさき麦の かきつばた” 

と、芭蕉が詠んだ様に、藤川宿一帯は、
むらさき麦栽培が盛んだったそうで、5月に訪れれば、今でも見る事が出来るそうです。

江戸時代には、
紫色の”むらさき麦”が藤川宿で栽培され、宿の名産だったそうです。

むらさき麦は、穂が紫色をした麦で、食用や染色に使われ、藤川宿の名物でした。

そして、明治以降途絶えていたこの”むらさき麦”は、平成6年に復活し、
現在も栽培されているそうです。


藤川宿の西のはずれに約1キロの
藤川の松並木があります。



藤川宿を抜けて、名鉄の踏切を渡ると、1車線の旧東海道沿いに、藤川の松並木があります。

ここも立派な松並木です。


1号線に合流して、トラックの排気ガスに悩まされながら進むと、旧東海道は、やがて1号線から分岐して、乙川を渡ります。





更に1号線を斜めに横切ると、右の写真の
大平一里塚がありました。

次の岡崎宿を目指して、もう一息の頑張りです。


藤川宿から岡崎宿まで約7キロです。



西棒鼻



芭蕉の句碑







(資料館のむらさき麦の写真)























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