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40-1:鳴海宿(有松)


2011.12.31  2012.11.3

有松宿は、岡崎宿と鳴海宿の中間に位置する間宿です。


広重も描いた”有松絞り”の問屋の風格のある町並みが続きます。


江戸時代には、絞りの問屋が集まり、有松絞りは、有松宿の名産だったそうで、今でも、有松絞りを売る店が点在しています。


色鮮やかな有松絞りは、持ち運びに便利な東海道のお土産として、旅人の間で大評判となり、有松・鳴海を訪れる女性たちは、こぞってショッピングを楽しんだそうです。


かって「有松・鳴海絞り」の店が並んでいた道筋には、今も、往時をしのばせる町家が軒を連ねています。


当時の風情を色濃く残す宿場町で、まるでタイムスリップしたかの様な錯覚に陥ります。




右の浮世絵では、有松絞りの店が2軒並んでいます。

手前に女の徒歩の旅人が二人、そしてその後ろに女の旅人を乗せた駕籠が続きます。

やはり、有松絞りが、女の旅人に大人気だった、ということを示す絵なのでしょうね。











広重も描いた江戸時代末期の土蔵造りの家屋が十数軒残っていて、市の町並み保存地区になっています。

連子格子、なまこ壁、うだつ等、当時の様式を残す建物が軒を連ねます。

有松・鳴海 紋会館 (資料館300円)

上の写真の「有松・鳴海 絞会館」では、有松絞りの歴史、工程、技法を実演を交えて分かり易く紹介しています。






お土産に、下の写真の
有松絞りを買いました。
(1,050円)




また、有松のもう一つの名物である「からくり人形」を格納する蔵もありました。
















(井桁屋)





今、「敵討(かたきうち)」(吉村昭:新潮文庫400円)を読んでいます。

主人公は、惨殺された父母の敵を討つため、明治8年の8月下旬に、佐賀の秋月藩を出立します。

小倉から船で大坂に着き、そこから東海道を歩いて、10月初旬に東京に着きます。

九州と関西の間は、瀬戸内海で海が穏やかだから、昔から、やはり船旅だったんでしょうね。

でも、明治になっても、大坂から東京までは、東海道五十三次を、江戸時代と同じ様に歩いていたんですね!

そう、未だ、鉄道も無かった訳ですからね・・・

明治13年、主人公は、東京で仇を討ち、めでたく本懐を遂げ、帰藩を許され、故郷の皆から祝福を受けるハズだったのですが・・・

しかし、この時点では、藩は廃止され県となっており、「仇討ち禁止令」が出ていて、主人公は、殺人罪として死刑を求刑されます!

(もっとも、この仇討ち禁止令は、一般には知られておらず、法律関係者のみが承知していたのだそうです。)

この小説は、裁判記録の写しとして残っていた「最後の仇打ち」の実話に基づくもので、藤原竜也主演のテレ朝・ドラマ「遺恨あり」でもやっていました。

明治になっても、東海道の旅行が、江戸時代と何も変わらなかったというのが、私にとって新鮮な驚きでした!

東海道五十三次や宿場町が、更に、身近かに感じられます!


有松宿を抜けて、約2キロ西の鳴海宿へ向かいます。











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