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40-2:鳴海宿

2011.12.31  2012..11.3


鳴海宿に入ると、すぐ右手に、下の写真の
瑞泉寺(ずいせんじ)があります。




鳴海宿は、有松宿に比べると、古い町並みは、ほとんど残っていません。


下の写真の本陣跡も、あやうく通り過ぎそうになりました。


下の写真の誓願寺にある芭蕉の供養塔は、芭蕉が亡くなった
翌月に造られた最古の供養塔
だそうです。





誓願寺を過ぎて、暫く歩いていると、突然、右腰の筋肉に痛みが走りました!

思わぬタイミングで、筋肉痛の発生です・・・

右腰をかばう様に、ゆっくりゆっくりと歩きます。

しかし、歩く毎に、全身に軽い痛みが走ります。

ウォーミングアップ不足か?、疲労の蓄積か?

何とか、一番近い小さな公園のベンチにたどり着き、座り込みます。

水分を補給して、おにぎりを食べて、30分位休息して、回復を待ちます。

この時期、晴れていても、風が身を切る様に冷たく、30分もじっとして
いると、身体が冷え込んで、手がかじかんできました・・・

座ったままだと凍えそうなので、頑張って立ちあがります。

イテテ・・・

ベンチから立ち上がるのも辛いです・・・

痛みが走らない様に、工夫しながら、ゆっくりと歩きます。

足裏の内側に重心を移して歩いてみたり・・・

小股で歩いてみたり・・・

大股で歩いてみたり・・・

痛みが走らない歩き方を模索します。

変な歩き方をしてからか、今度は、軽い腰痛が・・・

腰痛の再発か?!

弱り目に祟り目です・・・

昔やった腰痛の再発なら、このブログの”東海道を歩く”シリーズも
ここで打ち切り?

トホホ・・・

もう一度、もう一度、次の公園のベンチで、水分を補給して、更に30分位
休息して回復を狙います。

合計で1時間くらい休息したら、少し身体が楽になった様な気がしてきました。

再び、立ちあがって歩き始めます。

リュックを背中ではなく、腹の方に付けて歩いたら、後ろに引っ張られる
ことがないので、腰痛が和らぐかな、と思い、リュックを前にして歩きます。

ちょっと格好が悪いですが、そんな事を言ってはいられません。

意外にこれが成功で、腰痛が少しづつ和らいでゆきます。

そして、やはり1時間の休息の効果か、右腰の筋肉の痛みも少し
和らいできました。

足を引きづりながら、鳴海宿から宮宿へ向かいます。

名鉄鳴海駅を過ぎると、東海道は北上し始めます。












天白川の天白橋を渡ります。



やがて、笠寺の一里塚がありました。

この一里塚の老榎は、枯れかけていましたが、市が200万円で幹に空いた穴をふさぐ手術をしたところ見事によみがえったそうです。

立派な木の笠寺の一里塚で一休みします。




笠寺観音(笠覆寺:りゅうふくじ)

十一面観音を祀る笠覆寺が荒廃し、観音像が野ざらしになっていました。

これを哀れに思ったこの土地の長者の家に奉公していた
下女が、雪の日に、この観音像に笠をかぶせたのが、笠寺観音の由来です。

この下女は、なかなかの美人で、そのために、下女の仲間では、妬まれていじめられていました。

しかし、後に、
時の権力者・藤原兼平に、見染められて妻となり、玉照姫と呼ばれる様になります。

兼平・玉照姫夫妻は、この観音像のために、笠覆寺を建築します。

それ以降、笠寺観音は、
縁結びの神様として参拝客が多いそうです。

特に、玉照姫の様な、
玉の輿を狙っている女性の方は、どうぞお参り下さい?





この笠寺で、織田氏の捕虜の徳川家康と、今川氏の捕虜の織田信広(織田信長の兄)との人質交換 (注)が、行われました。

写真はその
人質交換の記念碑です。

(写真向って左の織田信宏は18歳、
 右の徳川家康は8歳)

今川側は交換が終わった後、鍬(くわ)形かぶとの大将を先頭に笠寺観音にお参りをすませ、徳川家康を連れて駿河に帰ったそうです。

記念碑によると、笠寺地域で行われている鍬形祭りは、この鍬形かぶとの大将の故事に由来するそうです。



雰囲気のある笠寺観音を左折し、笠寺観音商店街を抜けます。

天白橋








笠寺観音








(注)人質交換 
弱小国・三河の松平家は、隣の強国・駿河の今川義元へ、人質として松平竹千代(後の徳川家康)を差し出すことになりました。

ところが、今川へ向かう途中の人質の竹千代を、何と! 尾張の織田信秀が強奪したのです!

烈火のごとく怒った今川義元は、織田信秀の長男・織田信広が守る安祥城を攻め落とし、信広を捕虜にして、織田方に対し、竹千代と信広の人質交換を要求しました。

この人質交換により、竹千代(家康)は、当初の約束通りに、今川の人質となり、これ以降、今川家の駿河・遠江・三河の支配体制が確立しました。

この支配体制が崩れるのは、織田信長と今川義元による桶狭間の戦いです。


名鉄呼続(よびつぎ)駅の近くを過ぎ、山崎川の山崎橋を渡ると、
名古屋市街地のビル群が見えはじめ
ました。 

鳴海宿から宮宿まで約7キロです。





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