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42:桑名宿


2012.1.7    2012.11.4

今回は、新幹線で名古屋に行き、JR関西線に乗り換え
桑名駅で降ります。

いよいよ、
愛知県から三重県に入りました!


江戸時代は、
宮宿(名古屋港)から、海上の
「七里の渡し」で、桑名宿(三重県)
に到着
しました。

現在は海上の「七里の渡し」がないので、
東海道を歩く人の間では、神宮前駅から
桑名駅までは、電車に乗ることが慣行に
なっているそうです。

私もこの”現代の慣行”に従って、桑名宿
の七里の渡しに近い
JR関西本線・桑名駅
からスタート
します。


桑名駅の周辺には、焼き蛤(やきはまぐり)
のお店が点在します。

その手は くわなの 焼き蛤”で有名な
桑名の焼き蛤は、江戸時代は、茶店の
店先で売られていたそうです。

今日は風が冷たく、日没前に四日市駅前
の宿に着きたいので、お店を横目に
見ながら先を急ぎます。

駅から七里の渡しへ向かう途中に、写真
海蔵寺がありました。



薩摩藩は、洪水が頻発する長良川・木曽川・揖斐(いび)川の治水工事を、幕府より
命じられ
ました。

ところが、
工事が難航し、薩摩藩の10年分
の財政を使い果たしてしまいます。

薩摩藩の家老を始め
工事責任者51名が、薩摩の方角を向いて、申し訳ないと切腹
しました。

ヒェ〜!
厳しい!

ここ
海蔵寺には、切腹した24名の名前
書かかれています。

同じ様に、薩摩藩は、徳川幕府に安倍川
の改修を命ぜられる等、幕府から徹底的に
いじめられます。

この時の
薩摩藩の幕府に対する恨みは
深く
同じように幕府にいじめられ深く
恨んでいた長州
との薩長同盟の伏線と
なります。

犬猿の仲だった薩摩と長州ですが、

坂本龍馬
は、この両者の幕府への深い
恨みを巧みに利用
して、薩摩と長州の手を
結ばせます。



下の写真は住吉神社です。



時代毎の”
輪中”の変遷の地図の案内版
がありました。

そう言えば、中学の地理で、土塁に囲まれ
た”輪中”を習いましたが、そういう話
だったんだ・・・今頃になって理解できました。



少し歩くと、揖斐(いび)川のほとりに、
広重も描いた写真の
桑名城の蟠龍櫓
(ばんりゅうやぐら)が復元されています。



桑名城には、この様な櫓が51もあった
そうです。

櫓の中は、水管理事務所になっていて、
管理係のオバサンが、櫓の窓から見える
四方の山、橋、高速などの風景について
説明してくれました。

他に見学者も居なかったので、このオバサンと色々と長話をしてしましました。

その話によると、
木曽川、長良川、揖斐
(いび)川
と、大きな川が3本集まる宮宿と
桑名宿の間
は、江戸時代は、洪水の頻発
エリア
であり、陸路を通行することは困難
だったため、海上の「七里の渡し」が
定められたそうです。

宮宿の堀川から伊勢湾に出て、揖斐
(いび)川の流れる桑名までが、
東海道中
で唯一の海路
でした。

櫓から揖斐川の巨大な水門が見えます。

現在は、これらの川の水門を開けるか
閉じるかで、関係者の利害が対立し、
もめているので頭が痛いそうです。



桑名城の櫓の隣が、右の写真の
七里の
渡しの渡船場跡
でした。


右下の
浮世絵は、船着き場に着いて、
帆を降ろした2艘の
渡し舟です。

船の背後は、桑名城です。

左側の舟々は、帆を上げ、風を受けて、
海面を走っています。



渡船場跡の脇にある下の写真の大鳥居は、
ここから伊勢街道に入ることから「伊勢国
一の鳥居
」と呼ばれたそうです。



江戸時代には、この鳥居を拝んで、伊勢詣
を済ませた気分になって、京へ向かった
不心得者も多かったそうです。

う〜ん!

でも、確かに、伊勢にお参りに行くより、
京都に遊びに行った方が楽しそうですよね。


渡船場跡の近くのに
本陣跡に、右上の
写真の1875年創業の老
舗料亭・船津屋
また近くの
脇本陣跡に、右下の写真の
料亭月山ビルがあります。


桑名の七里の渡しで船を降りたつもりで、
ここから旧東海道を西へ進みます。
























(海蔵寺)







(輪中の地図)





















なお、「まるちゃん」さんから頂いたコメントによると、方言において、木曽三川が、
東京式アクセントと関西式アクセントの境界となっており、桑名宿は、東海道における
京阪式アクセント地区の最東端の宿場町とのことです。


なるほど、並行する巨大な木曽三川に隔てられたら、方言のアクセントの境界に
なってしまう、というのは納得ですよね。

旧東海道の左側が、桑名城のお堀になっていて、全体が
城跡の九華公園です。








お堀の石垣は、江戸時代のままだそうです。

下の写真は、徳川四天王の一人、
桑名藩の初代藩主の本多忠勝の像です。

本多忠勝は、千葉県の大多喜城の城主でした。



公園の突き当たりを右折し、桑名市博物館で桑名宿のパンフレットを入手します。







下の写真の春日神社(桑名総社)の門前の鳥居は、石ではなくて青銅です。





その鳥居の横には、下の写真の”
しるべ石”があります。



これは、
迷子になった子供を捜している人が、子供の特徴を書いた紙を、
この
石柱の左に貼りつけておくと、子供を見つけた人が、石柱の右にその
見つけた場所を書いた紙を貼り
つける、というものです。

面白い〜!



桑名宿の矢田立場跡や火の見櫓などを見物しながら、桑名宿を抜けて
四日市駅へ向かいます。


















































近鉄名古屋線・伊勢朝日駅の踏切を渡り、JR朝日駅まで来たところで、

恐れていた日没
です!  

四日市のビジネスホテルまで歩きたかったのですが、この寒風では、
日没後には歩く気がしません・・・ 

予定を変更して、
JR朝日駅で電車に乗り、四日市駅に向かい、翌朝、
このJR朝日駅をスタートする事にします。



でも、
今晩は、四日市駅から徒歩1分のビジネスホテルを確保してあります!

風が身を切る様に冷たいので、早く宿に入ってバスタブで温まりた〜い!

四日市駅で降りて、改札口を出ます。

駅の構内には売店もなく?、駅を出るとロータリーの前は、真っ暗です?・・・

駅前には、食堂も、コンビニも、交番も無く、人も歩いていません?!

大都市・四日市の駅前がなぜ?

そうか!

降りる駅を間違えた?

慌てて駅に戻り、駅名を確認します。

”四日市駅”です・・・

駅名に間違いありません・・・

駅から徒歩1分のビジネスホテルはどこ?

何故、駅前が真っ暗?!

取り敢えず、駅前の道を、勘で1分くらい歩いてみます。

・・・余計に、暗い道に入ってしまいました。

今、目の前で、
何が起きているのか?理解出来ません・・・

「東海道中膝栗毛」の弥次さん・喜多さんの様にキツネに化かさた?

急に、痴ほう症になった?

深呼吸をして、真っ白になった頭の中を整理しようとしますが、夜風が身を切る様に
冷たく整理できません・・・

目を凝らして、辺りを見回すと、遥か遠くに、屋上ネオンの上半分が
微かに見えます・・・

ひょっとして、あの辺りが、四日市の繁華街?

ワラを掴む様な気持ちで、そのネオンを目指して、速足で歩きます。

あのネオンが場末のラブホテルのネオンとかでありません様に・・・

速足で歩くこと約10分・・・

徐々に人通りが・・・

そして繁華街のネオンが・・・

近鉄・四日市駅の看板が!!

良かった!

インターネットで予約をした時、四日市駅の周辺にたくさんビジネスホテルが
あったので、
一番駅に近いホテルを予約したのですが、その時、
近鉄”四日市駅と、”JR”四日市駅がこんなに離れているというのは、
全く頭にありませんでした・・・

桑名宿から四日市宿まで約13キロです。

(但し、桑名宿から朝日駅までは約5キロです。)






















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