本文へジャンプ
44:石薬師宿


2012.1.8  2012.11.4
寒風と、すぐ横を走り抜けるトラックの風圧に耐えながら、農家と田畑の中の国道1号をかなりの距離を歩きます。

やがて右手に、
石薬師宿の入口となる小道がありました。



そして、すぐに、
石薬師宿の休息所があり、そのベンチに腰掛けて、一休みします。

向いのベンチに、ウォーキングシューズの若いお兄さんが座っていました。

てっきり、東海道53次のウォーキング仲間だと思って話掛けると、

ウォーキングは嫌い、とのこと・・・

えっ?嫌い?

でも、ウォーキングシューズがよく似合ってカッコイイですが?・・・

えっ?ヒッチハイク?

そうですか、ヒッチハイクが趣味ですか?

えっ?ヒッチハイクは好きではない?

ど、どういうこと?

ヒッチハイクが好きという訳ではなく、名古屋から大坂まで帰るところなんだけど、電車賃がもったいないから、ヒッチハイクをしながら帰る途中なんだとか・・・

今日は、大坂ナンバーのトラックが少ないので、苦戦していて、今、一休みしているところとのこと。

ふ〜ん・・・

つい、自分の基準で世の中を見てしまいますが、
人生いろいろ・・・




石薬師宿は、もともとは、石薬師寺の門前町
でした。

宿場町にへ、往時の面影を残す旧家が点在し、
小沢本陣跡もその1軒です。

建物は明治に建て替えられたものだそうですが、写真の様に、表札も小澤さんです。






















静かな雰囲気の町並を歩いてゆくと、国道1号をまたぐ橋を渡るとすぐ右手に、
石薬師寺がありました。

広重も描いた石薬師寺は、
弘法大師が薬師如来像を彫り、開眼供養したそうです。



残念ながら、この薬師如来像は秘仏で非公開ですが、寺の境内に、右の写真の仏像の説明板がありました。




石薬師寺の前の道を左へ少し進むと、源範頼(みなもとののりより)を祀った「御曹司社(おんぞうししゃ)」があります。

御曹司社は、右の石碑にある様に、正確には「蒲冠者範頼之社(かばのかんじゃのりよりのやしろ)」だそうです。

源範頼は、源頼朝の弟で、武道、学問に優れていましたが、源義経と同じく、頼朝に謀反の疑いをかけられ、誅殺されるという悲しい運命をたどります。

でも、歴史上は、義経の様に有名ではありません。

可哀相・・・


御曹司社の南60mのところに、源範頼ゆかりの「
蒲桜」(かばざくら)があります。

蒲桜は、1182年頃、
源範頼が、平家追討のため、西へ向う途中、石薬師寺に戦勝を祈り、鞭(むち)にしていた桜の枝を、地面に逆さに差したところ、それが芽をふいて育ったそうです。

従って、この蒲桜は、
逆さ桜”として有名だそうです。

右の写真の様に、根元から枝分かれしている?奇妙な桜です!!

この桜は、ヤマザクラの一変種として、植物学上からも珍しいのだそうです。





浮世絵の左手が、石薬師寺です。

馬子が、旅人を馬に乗せて、門前を通り過ぎようとしているところが、小さく描かれています。

右手に、田で働く2人の農夫と、手前に、荷物を担いで田んぼ道を走る2人も描かれています。



























旧東海道は、石薬師から古い町並みの坂を下って行きます。

すぐに、蒲川橋を渡り、一里塚を過ぎ、田んぼの中の小道を歩いてゆくと、いったん国道1号に合流、庄野へと向かいます。



今回のウォーキングは、
腰痛対策として、リュックを、極力軽くしました。


下着の着替えは持たずに、ホテルに到着したら、先ず下着を洗濯して、ホテルでは浴衣で過ごします。

下着は、朝までには、完全に乾いています!

その他にも、iPad2のカバーは重たいので外す、ガイドブックも必要ページのみコピーする等、荷物を最小限にする工夫をしました。

そのお陰で、リュックの重みの腰への負荷が減り、手ぶらで歩くのに近い感触になりました!


国道1号とJR線をくぐって、JR加佐登駅を過ぎたあたりで、国道1号から分岐して庄野宿に入る旧東海道があります。


石薬師宿から庄野宿まで約3キロです。












43:四日市 へ

45:庄野 へ
                   00:目次へ戻る