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48-2:鈴鹿峠


2012.3.1   2012.12.8

膝痛を抱えたままで、悲壮な覚悟で、坂下宿を抜け、いよいよ鈴鹿峠に挑みます。

旧街道は、集落を通り過ぎると、山が深くなり、杉林の細い道になりました。

片山神社から右側に向って続く、所々に石畳の残る写真の山道を登っていきます。

この
石畳が、「二十七曲がり」と呼ばれた鈴鹿峠越えのスタート地点らしいです。


少し歩いてゆくと、国道1号の高架が見えて来ました。

国道1号の高架をくぐり、坂を登っていきます。


坂がキツくなって息切れしてきました・・・

しかも、左足の膝の痛みが消えません・・・

でも、そんなことを言ってはいられません!

すぐに、国道1号の横の広場に出ると、更に、広場の奥に階段の続きがありました。

痛む左膝を曲げないで、引きずる様にして、階段を登ります。

この階段を登ると、芭蕉句碑がありました。

”ほっしんの 初にこゆる 鈴鹿山”

(一念発起して、旅に出ようと決心し、初めて越えていくのが鈴鹿の山だ。)


下の写真は、馬の水飲み鉢です。



























坂道が終わると、突然、平らな杉林の中に出ましたが、何と!ここが鈴鹿峠でした。

難所・鈴鹿峠”の噂に怯えていましたが、来てみると、箱根峠に比べて、あまりに楽だったので、拍子抜けしてしまいました。

え〜っ!もう、終わりなの?

早朝に関宿を出発したので、9時に峠に着きました!

何だか、逆に、物足りない?

昔から、鈴鹿峠が難所だと言われていた
本当の理由は、実は、山賊だったらしいです!

警護のついた皇女の行列すら、山賊に襲われ身ぐるみ剥がされたということなので、一般の旅人にとっては恐怖の鈴鹿峠越えだったのかも知れません。

東海道の旅は、山賊の被害が多かったので、町人でも旅をするときは、脇差しを差すのを許されたそうです。

そうか、それで、
弥次さん喜多さんも脇差しを差しているんだ!

なるほど!



江戸時代には、鈴鹿峠に6軒の茶店が軒を連ねていたそうですが、今は何も残っていません。

鈴鹿峠は、伊勢の国(三重県)と近江の国(滋賀県)の国境(県境)です。



右の写真の県境の石碑から、左手の林の中に入ってゆくと、田村神社跡の碑が建っています。



山賊を退治した坂上田村麻呂を祀った田村神社は、現在は、土山宿の入口に移動していますが、かっては、ここにあったらしいです。



田村神社跡を更に林の奥へ入ってゆくと、写真の鏡岩があります。

鏡岩は、地殻変動により、珪石が断層によってこすられ、地中からせり出した岩が露出したもので、露出面が鏡の様に、ツルツルにつやが出た岩です。

昔、鈴鹿峠の山賊が、往来する
旅人の姿をこの岩に映して、待ち伏せしたそうです。

この岩に映った人影を見て、山賊が襲撃していたそうです。

実際にこの鏡岩を見る前は、岩が鏡の役割を果たすなんて、どうせマユツバの話だと思っていましたが、現地の見晴らしの良さと、
鏡のツルツルの表面を見て半分納得しました。
(写真には、ツルツルの感じが上手く写っていませんが・・)

鏡岩から足元を見ると、膝がガタガタ震えるくらい高い崖の上にあり、鈴鹿峠の山道の全景が見降ろせます。

なるほど、ここで旅人を見張っておいて襲撃したという話には納得です。



鈴鹿峠越えでは、
途中で人と一人も会いませんでした。

季節のせいでしょうか、平日だからでしょうか、それとも、箱根峠東坂に比べて、鈴鹿峠を歩いて越える人が少ないのでしょうか?

峠から茶畑の中を、坂を下って行くと、その茶畑の先に、右の写真の万人講常夜燈、そしてその隣に、トイレと休憩所がありました。

左足の膝の痛みが消えないので、少し休んで膝の回復を待ちます。










(鈴鹿峠の国境の道標)




















旧東海道は、すぐに国道1号に合流します。

鈴鹿峠から土山宿まで、約6キロ、ほぼ国道1号に沿って、非常に緩やかな下り坂が続きます。

すぐ横を猛スピードで走り抜けるダンプの風圧に耐え、膝痛の左足を引きずりながら歩きます・・・

国道1号の緩やかな下り坂の向こうに、土山宿の町並みが見えてきました。

田村川の海道橋を渡り、やがて、道の駅・あいの土山に到着です。

残り、JR貴生川駅まで、あと11キロ!

一歩歩くたびに、軽い膝の痛みが全身に走ります・・・

平地とはいえ、膝痛を抱えたままでは厳しい・・・


坂下宿から土山宿まで約10キロです。
















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