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05: 戸 塚 宿


2011.9.22   2012.4.21
戸塚宿は、日本橋から41キロ。

江戸を早立ちした旅人の最初の宿でした。

江戸時代に、東海道五十三次を旅する平均的な日程は、一日に40キロを歩き、12泊13日だったそうです。

自動車の無い時代の人間の足腰は丈夫だったんですねえ~!

現代人は、毎日続けて13日も、40キロを歩くなんて無理でしょう!

私なんか、3日目に筋肉痛でダウンですよ。

江戸時代の人は偉い!

しかも、あの情けない喜多さん弥次さんは、
東海道を、11泊12日だった
らしいです!

二人への見方が変わりました・・・尊敬します!














上の写真は、
戸塚宿の本陣跡です。

「沢辺」の表札の家の前に、
「澤邊」本陣跡の碑が建っていましたので、沢辺さんは戸塚宿本陣の子孫なのでしょう。

そう言えば、保土ヶ谷宿(04:)の軽部本陣跡の家の表札も軽部さんでした。




左の写真は、
冨塚(とみづか)八幡宮です。

境内の説明板によると、
「戸塚」の地名の由来は、この冨塚(とみづか)が転じた、とあります。

へ~!そうだったんだ。

世絵の看板に、「こめや」の文字が見えますが、これは米屋の看板ではなく、
戸塚の宿場町に実在した「旅籠・こめや」の看板だそうです。














旧東海道は、やがて、左の写真の標識のある大坂というゆるやかな坂をのぼり続けます。










左の写真は、戸塚庚申塔群です。












この坂の上に、歌舞伎「
仮名手本忠臣蔵」で有名な写真の「お軽勘平・戸塚山中道行の場」の碑がありました。

仮名手本忠臣蔵の
”仮名手本”と
”忠臣蔵”の関係
は?

「赤穂47士」を「いろは47文字」にかけて「仮名」手本!!

なるほど! どちらも”47”だ!

そういう江戸時代の
語呂合わせ?か!

(恥ずかしながら、昔、私は、分かり易い様に、忠臣蔵の本が、カナで書かれているのだと思っていました・・・)

仮名手本忠臣蔵のお軽勘平は架空の人物ですが、勘平のモデルは、赤穂浪士の菅野勘平だそうです。

大坂を下って藤沢へと向かいます。


戸塚宿から藤沢宿まで約8キロです。

aa

04: 保土ヶ谷 へ

06: 藤沢 へ
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