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53-1:大津宿


2012.3.13    2012.12.8
いよいよ、東海道53次の「完全踏破の一人旅」も大詰めです!

さあ、最終ゴールの京都・三条大橋まで、12キロを残すのみです!!

今日も膝痛は回復しないものの、フェイタスZを貼って、気合いを入れて、草津の宿を出発します。


昨日の続きを歩くため、JR草津駅から
石山駅へ向かいます。


石山駅で降りて、ゆっくりと旅の最後の日を噛みしめる様に歩き始めます。


石山駅から暫く歩くと、本多六万石の城下町、
膳所(ぜぜ)に入ります。

膳所の
城下町特有の折れ曲がった道を進みます。

京阪・中ノ庄駅付近では、古い屋並みの背景に高層マンション群が見えます。

旧街道は、京阪電車の踏切で交差を繰り返しながら、ほぼ並行
して大津宿の中心へ向かいます。


膳所(ぜぜ)の城下町を歩いていると、義仲寺(ぎちゅうじ)が
ありました。

義仲寺の入口で写真を撮ろうとすると、また、カメラのトラブル
です!

今度は、”
SDカードが一杯です!”

携帯の写真という非常手段はありますが、最後はキチンとした写真を撮りたいです。

SDカードを買おうと、辺りを見回すと、近くに、西武百貨店と大津パルコがありましたが、まだ開店1時間前です・・・

付近の商店街を歩きながら探すと、フジフィルムの小さな現像店がありました。

聞いた事のないメーカーのSDカードが1種類だけありました。

カードを差し替えてスタートです。

次の旅行では、予備のSDカードを忘れない様にしよう!


DPE店から、再び、
義仲寺へ向かい、お寺の中へ入ります。

木曾義仲(きそよしなか)の愛人の巴御前(ともえごぜん)が、義仲を供養したお寺です。

源平の戦いで、木曾義仲は、平家の大軍を破って上洛しますが、都に居座ったことにより、
源頼朝に義経の軍勢を差し向けられ討たれました。

この木曾義仲の墓のそばに、巴御前が草庵を結んだのが義仲寺の始まりだそうでです。


(膳所の城門跡)




(膳所の城下町)





(義仲寺)

(義仲寺)

また、義仲寺には、
松尾芭蕉の墓がありました。

へ〜、知らなかったな〜。

松尾芭蕉は、大坂で亡くなったあと、その
遺言により、遺骸が木曾義仲の墓の隣に葬られたそうです。


義仲寺から、大津市街地の中心にある大津宿へと向かいます。



旧街道沿いに、下の写真の
大津事件の碑がありました。

大津事件は、明治24年に、日本を訪問中の
ロシア帝国皇太子ニコライ2世が、警備にあたっていた警察官に突然斬りつけられ負傷した、暗殺未遂事件です。


旧街道は、京阪電車の通りに当りますので、ここから京阪電車に沿って左折すると、大津本陣跡の碑があります。


現代のビジネス街の中心である県庁所在地の繁華街に、
宿場町の町並みをそのまま残しています。

こんな
繁華街の中に、よく残っているな〜、感心します。



旧街道の突き当たりが、大津宿の中心である札の辻で、東海道と北国海道の分岐点です。










旧東海道は、この札の辻を、直角に左に曲がります。

直角に曲がった少し先を左に入ったところに、膳所藩のお抱え御用料亭の老舗の
阪本屋があります。

大津の名物は、この阪本屋で売っている
琵琶湖の鮒(ふな)寿司です。
(3,150円)

鮒ずしは保存食で、ご飯で長い間漬け込んだ魚の漬物で、ドロドロになったご飯の方を捨てて、魚の方を食べます。

でも、匂いと酸味が強烈なので、人によって好き嫌いが激しいらしいですが、やはり、江戸時代の食べ物なのでしょう、現代人の私はそれほど美味しくは感じませんでした。

阪本屋の近くに、大津宿本陣跡碑がありました。

少し歩くと、旧街道は、大津宿を抜け、蝉丸神社下社も前を過ぎるて、国道1号と合流します。

最後の難関、逢坂(おうさか)峠へ向かいます。












(
蝉丸神社下社)


(大津本陣跡の碑)



52:  草津 へ

53-2:逢坂峠 へ
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