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99:完全踏破の一人旅の感想


2012.3.15

日本橋を出発したときは、京都は気の遠くなる様な先にあり、果たして京都まで歩けるのか、ピンとこないし、とても完全踏破の自信はありませんでした。


江戸時代の人々が、日本橋から京都まで、1日も休むことなく、13日間も歩き続けて踏破していたという事実も、ピンとこないで、実感としては信じられませんでした。


そして、実際に、途中で、
三度ほど挫折しかけました。

最初の挫折は、大磯から二宮の辺りで、私としては、既に、日本橋から相当の距離を歩いたつもりだったのに、未だ、小田原の手前とは・・・

京都なんて、夢のまた夢だな・・・

京都まで歩くなんて宣言しなきゃ良かったな〜・・・、
と後悔しました。


それが、京都まで歩けるという自信に変わったのは、
箱根峠を越えて、一日掛かりで長い箱根西坂を下り切り、三島に着いたときでした。

多分、京都まで箱根以上の難所は無いだろう、だとすれば、あとは、日にちさえ掛ければ、自ずから、必ず京都に着く、という自信に変わりました。










そして、
二度目の挫折は、静岡県の真ん中あたりです。

静岡県の海岸線の長さに、気が遠くなりそうになりました。

山頭火の句の

”分け入つても 分け入つても 青い山”

を思い出して、私も一句、

”歩いても 歩いても いつまでたっても静岡県”(字余り)

未だ静岡県の先に、愛知県、三重県、滋賀県、京都府と
歩かないといけないのに・・・

永遠に静岡県から抜けられない様な気持になりました。



そして、
最後の挫折は、異常寒波の到来する中での、膝痛を抱えての鈴鹿峠越えでした。

この最後の難関・鈴鹿峠越えは、京都を目前にして、ここまで来て、今更、止める訳にはゆかないと、
気力だけで、乗り越えました!



また、途中で、よく
道に迷いました。

これは、旧東海道は、東海道に比べて、分岐点に
表示が無い場所が多いということが主な原因です。

しかも、地元の人に聞いても分からないこともありました。

更に、一人旅だったため、いったん
思い込んでしまうと、
誤った道をどんどん歩いてしまう、という傾向があったのも原因のひとつだったと思います。

2〜3人で歩いていれば、おかしいと誰かが気づき、もっと早く引き返していただろうな、と思うことが度々ありました。

でも、途中で、腰痛と筋肉痛に襲われたときは、やはり、
一人旅の良さ、
気楽さ・・・必要なだけ休み、体調が良いときはハイピッチで距離を稼ぎました。


それから、空腹に悩ませれながらの踏破の様々な失敗を踏まえ、
常にオニギリを携帯することにしました。


















東海道53次を完全踏破し終えて、振り返ってみると、
余りに長い期間だったので、何の目的で歩きだし、何の収穫があったのかいま一つはっきりとは想い出せません。


思い返すと、
夢の中を歩いていた様な気もします。

でも、
約540キロを歩き通したという達成感と自信は、確かに残ました。


車ではなく、歩いてみて初めて気がつく、
ゆっくりとした時間の流れ、旅行の楽しさがありました。

車の旅行では、見落としてしまう様な風景が多々ありました。


旧東海道の全てを歩いて旅行するというのは、現代社会においては、ある意味”究極の贅沢な旅”だった様な気もします。


最後に、私のために時間を割いて頂いた、宿場毎の親切な皆さん!

この郷土を愛する宿場の皆さん、それから、このブログにコメントを頂いた皆さんに支えられて、楽しい旅が出来ました。

ありがとうございました。


ps. 
(2013年春)
溜め込んでいた「
バスで巡る東海道五十三次」ツァーの1年間分の写真、パンフレット、メモ帳の整理がようやく終わり、このホームページに、バス旅行の記録を、青字で追加しました。

これにより、東海道のホームページ作成が一段落したので、
中山道踏破の一人旅を再開しました。

引き続き、下記のブログで、中山道・珍道中のエピソードをご報告したいと思いますので、お楽しみに!

⇒ 「中山道を歩く」 (http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie)












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