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09: 小 田 原 宿


2011.10.6  2012.4.21

小田急線・小田原→箱根湯本〜元箱根





酒匂川(さかわ)を渡ると小田原宿の表示があり、
暫く歩くと江戸口見附跡がありました。

小田原は大都会です!

そして小田原は、城下町の雰囲気を残す街です。

旧東海道沿いの街の至る所に写真の様な小田原宿の町標の石碑があり、江戸時代からの町名の由来が良く分かり親切です。


旧東海道を、
小田原城を右手に見ながら歩きます。











浮世絵は、小田原の手前の酒匂川の川越えで、
向こう岸が小田原、更に遠くの高い山が箱根山
で、
その下の写真が、現在の酒匂川です。


江戸時代の東海道は、川越えが多くて大変だった
んですねえ!

現代人の我々は、無意識で橋を渡っていますけど
ねえ。

小田原は日本橋から80キロ、箱根関所を前にした
旅人の
2泊目の宿として繁盛したそうです。














童謡「お猿の駕籠屋」で有名な「小田原提灯
(おだわらじょうちん)は、江戸時代に小田原で
発明されました。

当時の
大ヒット商品となったそうです。

これまでの楕円形とは異なり、
小型の折り畳み式
でした。

円筒形の小田原ちょうちんは、早朝に出発する
旅人の携帯に便利な必須グッズだったようです。

♪エッサ エッサ エッサホイ サッサ♪

♪お猿のかごやだ ホイサッサ♪

♪日暮(ひぐれ)れの山道 細い道♪

♪小田原提灯ぶらさげて

 ソレ♪

♪ヤットコ ドッコイ ホイサッサ♪



厳しい山道の箱根峠を越えて当日中に三島に着く
ために、
未だ暗いうちに、小田原提灯をぶらさげて、
小田原を出発
する旅人の様子が目に浮かびます。


かまぼこを売る大きな店が並びます。

小田原名物は、ういろう、かまぼこ、梅干しです。

「ういろう」を売る店が、江戸時代から続く薬屋の
前にありますが、元々は、
ういろうは、苦い薬を
和らげるために
薬と一緒に食べる様に作られた
からだそうです!

右の写真の立派なお城の形をした老舗の
”ういろう”屋さんでは、和菓子の”ういろう”と、
薬の”ういろう”と
両方を売っています。

ういろう”の由来は、創始者が”外朗(ういろう)”氏
だっただからそうですが、読めない名字ですよね。









大久寺(だいきゅうじ)の境内には、北条氏が
滅んだ後に
小田原を支配した大久保一族の墓
があります。









 
(酒匂川)

















(お城の形をしたういろう屋)





暫く歩いていると、やがて、左手に綺麗な早川、右手が
1号線と小田急の線路で、時々ロマンスカーが近くを
走ります。

清流沿いの快適なハイキングコースです。

快適な気分で歩いていると、いつの間にか歩道の無い箱根新道に合流してしまいました?!

慌てて戻ります!

注意して歩いているつもりでしたが、非常に分かりにくい
です!

箱根町は、歩く人の事も考えて分かり易い表示板を出して
欲しいです!

小田原から箱根湯本までは、上り坂ではありますが意外と
短い距離でした。



《ご参考》

小田原城・北条五代祭り (北条氏政:高嶋政伸) 2018.5.3

  

(写真は、北条氏政役の「高嶋政伸」と北条早雲役の「合田雅吏」)


今年のゴールデンウィークは、混雑する遠出を諦めて、5/3(木)に、近場の小田原の「北条五代祭り」へ行って来ました。


JR小田原駅から、小田原城内の北条五代祭りの広場まで、徒歩約10分です。



(JR小田原駅)



(JR小田原駅前の北条早雲像)

戦国時代に関東を支配していた「北条氏」は、鎌倉時代の執権・北条氏と区別するために「後北条氏」とも呼ばれます。

今年は、小田原城が、北条氏の本城となって500年だそうで、「北条五大祭り」にもかなり力が入っているみたいです。
前日の天気予報は雨でしたが、心配された雨は午前中に上がり、祭りの開始時刻には五月晴れとなりました。

小田原城の「銅(あかがね)門」の広場で、12:50から、武者隊の出陣式のセレモニーが始まりました。

セレモニーでは、小田原城の支城があった各自治体も、武者行列に参加する旨の紹介がありました。

なるほどね〜、小田原城の支城は、関東地方の全域にあったから、小田原だけのお祭りに終わらずに、
関東全域から参加する大規模な武者行列になる訳だ。

地域興しを全国区にするために、色々と考えるものだねえ〜。



しばらくすると、上の写真の早馬が銅門に到着、”敵が攻めてきたぞ〜!”の口上を機に、下の写真の鉄砲隊の
発砲合図で武者隊の出陣式が始まりました。





ホラ貝が鳴り響き、太鼓が打ち鳴らされる中、北条五代歴代の城主を模した武者行列が、続々と、銅門の前の住吉橋から
出陣して行きます。


馬に乗る4代・北条氏政は、NHKの大河ドラマ「真田丸」で演じた「高嶋政伸」です。

初代・北条早雲は、小田原高校卒業で小田原ふるさと大使の「水戸黄門」の格さん役の「合田雅吏」(ごうだ まさし )です。

武者隊が次々と出陣、馬出門から、市街地のパレードへ出て行きます。



(初代・北条早雲役の「合田雅吏」)



(2代・北条氏綱)



(3代・北条氏康)



(4代・北条氏政役の「高嶋政伸」)



(5代・最後の当主の北条氏直)


(鉢形城からは北条氏邦が参陣)



(八王子城からは北条氏照が参陣)



(韮山城からは北条氏規が参陣)



(徳川家康の娘・督姫 :北条氏直の正室)



(武田信玄の娘・黄梅院 :北条氏政の正室)



(北条氏康の正室の瑞渓院:今川氏の親娘)



(大鉄砲)



(忍者風魔の小太郎隊と不二丸隊)



(少年少女武者隊)



(女武者隊)



(女武者隊)



武者隊の出陣式の開会セレモニー広場の隣の広場は、凄い数の屋台が出ていて、大人気で身動きがとれないくらいです。


定番の屋台だけではなく、小田原名物のかまぼこやイカの塩辛など、色々な屋台が出ていて楽しそうです。

私も、出陣式を見終わったところで、牛串(400円)と小田原かまぼこ(100円)を肴に、生ビール(400円)を飲んで一息つきます。



(牛串が一口残ったところで、写真の撮り忘れに気付いて、慌てて撮りました・・・




小田原城・城址公園   2018.5.3



(写真は、小田原城の天守)

今年のGW(5/3)に、小田原の「北条五代祭り」を見物に行った話しの続きです。

北条五代祭りを見終えて、屋台村で生ビールを飲んで一休みしてから、小田原城の城址公園を一回りしてから帰宅します。

「小田原城」は近いので、これまでに何回か訪れていますが、平成28年の大改修でリニューアルオープンしてからは初めてです。




「小田原城」は、関東一円を支配した戦国大名の「北条氏」が五代にわたって拠点とした要害堅固な城で、上杉謙信や
武田信玄の攻撃に対しても"難攻不落"でした。

小田原城の「総構(そうがまえ)」は、全長9キロにも及び、空堀と土塁で城下町全体を囲む長大なものでした。

 (注)「総構」:従来の城として機能する「内郭」(ないかく/うちぐるわ)に対し、その外側に、更に、もう一重の防御線を
    設けたのが「総構」。



(小田原城の総構:一番外側の茶色線が「総構」)

戦国時代の「北条氏」の石高は、相模、伊豆、武蔵、上野、下野、下総、上総など合わせて250万石を超え、その総兵力は
10万と言われました。

九州征伐を終えて天下統一へ向っていた秀吉は、度々、小田原城の北条氏政に上洛を促しましたたが、氏政は応じませんでした。



そんな中、北条氏が、秀吉の命令を無視して、名胡桃城(なぐるみじょう)を真田氏から強奪するという事件が起き、これに
激怒した秀吉は、1589年、「小田原征伐」を諸大名に命じました。

(名胡桃城については、「名胡桃城」(群馬県)を見てね。)

小田原征伐の主力20万には、徳川、加藤、長宗我部、毛利などに加え、来島の水軍なども参加していました。

秀吉は、先鋒の徳川家康に、東海道からの進攻を命じ、また、北方からの攻撃には、前田、上杉、真田の3万5千を進攻させました。

更に、この小田原征伐軍には、秀吉に恭順した宇都宮、那須などの関東勢1万8千も加わりました。

これに対し、北条側は、関東全域の小田原城の支城に、一族や重臣を配置して守りを固め、支城が寝返ったりしない様に、
各城主の家族を人質として小田原城内に集めます。

そして、小田原城内では、秀吉の大軍をどのようにして迎え撃つのか、重臣が集まり会議が行われます。

これが所謂「小田原評定」と呼ばれる会議で、以降、長いだけで結論が決まらない会議を指す様になりました。

最終的には、小田原城の守りに絶対の自信を持つ重臣たちの主張が通り、籠城戦で戦うことになりました。

この間にも、家康率いる主力軍は、山中城(静岡)、韮山城(静岡)、岩付城(埼玉)、鉢形城(埼玉)、八王子城、忍城(埼玉)等の
小田原城の支城を次々と落としていきます。





(小田原城の支城:嵐山町web博物誌から)

1590年、ついに、秀吉は、自ら小田原城を望む早川対岸の石垣山(一夜城)に本営を構え、籠城策をとる北条勢を、陸と海から包囲しました。



(赤丸印が秀吉の一夜城の本営、緑色線の枠内が小田原城に籠城する北条側。)

約100日に及ぶ小田原城への攻撃で、北条軍の士気は低下、北条家の重臣の内応などもあり、ついに北条氏政は降伏します。

秀吉は、氏政を切腹させ、その子の氏直を高野山に追放しました。

更に、北条氏の旧領を全て家康に与える代わりに、駿河、遠江、三河から江戸に移らせました。

この戦陣中に、伊達政宗も秀吉に来応して屈服、この小田原征伐によって、秀吉の天下統一が完成しました。


江戸時代には、「小田原城」は、幕府の直轄となりましたが、その後、明治3年に廃城となり、ほとんどの建物は解体されました。



更に、残った石垣も、大正12年の関東大震災でほぼ全壊しました。

その後、本丸を中心に「城址公園」として整備され、昭和35年に天守閣が復元されました。



(空から見た小田原城址公園)

次いで、昭和46年に常盤木門(ときわぎもん)、平成9年に銅門(あかがねもん)、平成21年に馬出門(うまだしもん)が復元されました。

そして、平成27年に天守閣の大規模改修工事が行われ、平成28年にリニューアルオープンしました。



写真は、本丸の正門である「常盤木門」(ときわぎもん)です。





常盤木門の1階は、甲冑や忍者衣装の貸出着付け体験スペースで、2階には「常盤木門SAMURAI館」がオープンし、
甲冑や刀剣類などが展示されています。





上の写真の「歴史見聞館」では、模型や映像で、分かり易く小田原城の歴史が学べます。









上の写真の昭和初期の建築である観光案内所(旧市立図書館)の辺りは、「馬屋曲輪(うまやくるわ)」跡です。



(常盤木橋)



(銅門枡形虎口・一の門)



(銅門の銅板)



(本丸の石垣)



(御茶壺橋)



(御感の藤)



(南曲輪)



天守閣へ向かいます。



(入場料:「天守閣」500円、「常盤木門SAMURAI館」200円、「歴史見聞館」300円、3館共通券は700円)

天守閣の内部は、小田原城に関する展示室となっています。



1階は江戸時代、2階は戦国時代、3階は美術工芸品等、4階は企画展示、5階は天守で、天守には、下の写真の様に、
江戸時代の天守の一部を再現しています。





天守からは、南は真鶴(まなづる)半島や伊豆半島、東は小田原の街や相模湾、北は丹沢(たんざわ)の山々と、360度の絶景が
堪能できます。







西には、箱根方面が見え、豊臣秀吉が北条氏攻略のために築いた「石垣山一夜城」の位置を示すパネルも設置されています。



一夜城は、上の写真の赤丸印の様に、小田原城から目と鼻ほどの距離で、当時の小田原城攻撃の緊張感が伝わってきます。

次は、「石垣山一夜城」へ行って、逆に、この小田原城を見下ろしてみたいと思います。


小田原城の城址公園を一回りして、もとの出陣式の広場に戻って来ると、武者行列のパレードも、市内パレードから、
この会場に戻って来たところでした。




人だかりがしているので近づいてみると、その中心に、高嶋政伸がいました。


入れ代わり立ち代わり、ツーショットの記念撮影を求めるファンに、断り切れずに、立往生していました。

マネージャーが「次の時間がありますのでこれで最後にします」と必死に繰り返していましたが、完全に無視されていました・・・


芸能人は辛いね・・・







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